僕をソノ気にさせる-8
智樹の話を聞いていた伯父が、
「おい、さっきから『子』って言ってるってことは女の子か？」
と聞くと、智樹は鋭い父親の指摘に少したじろいだ。
「そうだけど」
「彼女か？」
「違うよ。……でもきっと俺にホレてる」
今日は母親が自身の仕事の都合で来れず不在だったので、智樹は自信ありげな表情で言った。母親の前で聞かせたら、大学を卒業し無事就職を果たした息子の次なる興味は結婚相手だから、激しい興味を示されたに違いない。
「だからお前が頼めば引き受けてくれるっていうのか」
伯父は根拠の薄い自信に我が息子ながら笑いが出るほど呆れて、「おふくろ、まぁ、智樹の言う子に一度頼んでみようや。おふくろが会ってみて、ダメだってならダメで他探しゃいいんだろ？」
気が進まない祖母も長男のとりなしに智樹の案を受け入れた。
３
家にやって来た女の子を見て、祖母は「ダメね」と思った。もともと見る目を厳しくしていたのもあるが、頭のいいＫ大生は黒髪で楚々とした子というイメージを持っていたのに、やって来たのは祖母の頭の中にある『勉強もせず遊んでる大学生』がピッタリ当てはまる子に見えた。そんな先入観を退けて見れば、確かに整った顔をしている。しかし化粧も服装もヘアスタイルも、それが今の世代では普通であると理解しつつも、着物を愛用する祖母にとっては軽薄に見えて気に入らなかった。
「えっと……、須藤杏奈です。Ｋ大学の薬学部に行ってます」
格好だけでももう少し清純らしくすれば、美人なのだから自分の好みに合っただろうに、それに上乗せするように、老女を前に語尾が伸びそうになるのを気をつけて喋っているのが有々と伝わってきて更に祖母を落胆させる。
（本当にこれがＫ大生かねぇ……。だいたい、アンナって名前、外国人みたいだわ）
夫の母校でもあるＫ大学を名門学府と思っているから、今のＫ大生、女子大学生の「普通」が受け入れられないあまり、祖母は心の中で名前にまでケチをつけていた。
「聞いての通り、思いっきり理系だから数学は得意だぜ？ リケジョってんだよ、リケジョ」
隣に座った智樹が祖母へ杏奈を売り込もうとする。
「そう……。須藤さん、本当ですの？」
鋭い目を向ける祖母に杏奈は頸をすくめたいのを我慢して、
「あ、はい……。大学受験のときは数学と化学は得意科目でした。薬学部の入試は数学と化学と英語ですから……」
と緊張した面持ちで答える。
「現役合格だから、ホンモノだぜ？」
フォローを差し向ける智樹を無視して、
「そうですか。――須藤さんは人、……子供に勉強を教えたことはおありになって？」
「えぇと……」
智樹が表情で「ええとはよせ」と合図をしたが杏奈には伝わらなかった。「あ、高校生のときに、近所の子に聞かれてちょっと教えたことはあるかもです、あっ……、教えたことあります」
（これはダメかもしれない）
確かに婆ちゃんのタイプとは真逆だしなぁ。智樹は祖母の表情が全く曇りから晴れないのを見て諦め始めていた。
「須藤さんはどうして算数がお得意なの？」
予想外の質問にビックリした、という顔をした杏奈が、暫く目線を上に向けて考える。人前でのその仕草に、祖母は上を向いている杏奈に見せずに、しかし智樹には見せる溜息をつき、冷たい目を向けると、智樹はいよいよヤバいと感じて、自分で自分の頭を軽く叩いた。
「そろばん、やってました！」
答えを思いついた杏奈が急に大きな声で答える。「だからだと思います。ウチの母親が厳しくて、小さい頃から通わされて。わけがわからないうちに暗算が早くなったから、算数も数学も楽勝でし……、じゃないや、えっと、全然苦になりませんでした」
「習い事をしてらっしゃったなんていいご家庭ですわねぇ。……失礼ですが、ご家族様は何をなさってる方ですの？」
「父は医者、です。横浜で小さい個人医院をやっています。母は専業主婦で……、兄弟はいません」
案外育ちはいいのね、と祖母は意外に思いながら、
「まぁ……、じゃぁ、須藤さんがお継ぎになる？」
「いえ、薬学部では医師免許は……。特におとう……父も娘に後継ぎを期待していないようなので」
「須藤さんがお医者様のお婿さんを迎えられればよいじゃありませんか」
「あ、はは……」杏奈は少し困ったような笑みを浮かべ、「……母を見てたら、医者の妻なんて大変すぎて。父も、『引退したら誰か知り合いの医者に経営ごと引き継ぐ』って言ってますから」
優也の先生にはならないにしても、智樹の恋人になるかもしれないと思っている祖母は、智樹に向かって「よかったわねぇ」と嫌味な笑みを向けた。智樹はそんな祖母に苦笑し、
「まあ、そろそろいいだろ、婆ちゃん。どうかな、……一応、優にも会わせてみるってのは」
これ以上祖母の詮索に晒されて、杏奈が失言してしまわないかハラハラすることに耐えかねていた。