僕をソノ気にさせる-15
「何だよ、あんたが来ると、飯をもう一回炊かなきゃいけないほど食べるんだから、迷惑なんだよ」口ではそう言っていても、祖母は用意し始めていた夕食の量を今から増やす算段をつけ始めて、「ああ、でもちょうどよかったよ。智樹、あんた十時くらいまで居れるかい?」
「どうしたんだよ?」
「いやね、今日、頼まれ事があるから夜出かけなきゃいけなかったんだよ。優也には留守番しといてもらおうと思ってたんだけど、あんた、私が帰るまでいてやってちょうだい」
近所には着付けができる祖母を頼ってくる者が多く、今日も息子の結婚式のために着物を新調した近所の主婦に、袖通しの確認を手伝ってくれるよう依頼されていた。
「えぇ? ……まあ、いいけどさ。なら明日ここから会社行っちまうかなぁ。十時から家に帰るの面倒臭えし。俺のワイシャツ、前に置いてたのあんだろ?」
「何だい。泊まるつもりかい? ……まあいいよ、そうすりゃ」
台所に立って背中で智樹と会話をしながら、祖母は智樹のワイシャツ、下着、靴下の在り処を頭の中で確認し、「智樹、風呂洗って沸かしとくれ」
「俺が? じゃ、働き賃として、婆ちゃん待ってる間、飲んじゃうぜ?」
祖母は溜息をついて、
「……好きにしたらいいさ」
と呟いた。
二人の会話を聞いていて、チャンスだ、と優也は思った。祖母が出かけると、肌着とトランクス姿のままキッチンで一人で飲んでいる智樹に声をかけた。
「お? どした? お前も飲んでみるか?」
瓶をもう何本も開けている智樹が、祖母が残していった枝豆をつまみつつコップを優也に向けてみせた。
「いや、いい……」
「そうしろ。俺が婆ちゃんに殺される」
智樹は熱心にテレビのプロ野球中継を見続けている。
「ちょっと……。話があるんだけど」
「おー……」
返事はしているが、目線はテレビの方を向いていた。「何でも言ってみろ」
「えっと……」
相談できる最も歳が近い男、という条件で探したが、二十台半ばなろうかという智樹しか思い当たらなかった。そして、どう話し出していいかもわからなかった。「ここでは難しいんだ。僕の部屋に来て欲しくて」
「あー……、うん。じゃ、ちょっと待て。巨人がこの回抑えるまで。……ここ抑えたら今日はもう勝ちだぜ……」
終盤を迎えてツーアウトながら得点圏にランナーを背負っている。代わったピッチャーが投球練習を終え、ゲームが再開されると、バッターはいきなり初球を叩いた。
「うぉいっ!!」
高々と上がった打球が勢いよく外野に飛んでいく。カメラが切り替わると、レフトが手を上げてボールをキャッチした。
「よぉっしっ!! ……で、何だっけ? 優の部屋にいけばいいのか?」
「うん」
智樹が優也に導かれて部屋の方に行くと、中に入るなり机の上にノートや参考書が広げられているのが見えた。
「……ちょ、ちょっと待て。俺に聞いても間違ったこと教えることになりかねないぜ? ちゃんとだな、杏……、須藤先生に聞け。電話してやっから」
居間に置いてきた携帯を取りに戻ろうとすると、
「違うよ。そんなこと智樹兄ちゃんには頼まないよ」
優也に制されて、ちょっとは頼めよ、と思いつつ、智樹は踵を返してベッドに座ると、
「何だよ」
と優也を見上げた。
「うん……」
優也は何から話し始めたらいいか、何は智樹にも言えないのか整理がつききっていなかったから、口火を切ることができず、仕方なく何も言わずに机の引き出しからビニール袋を取り出した。
「何だよ、それ」
「……、……パンツ」
ビニール袋にしまわれた下着、優也の年齢と困った顔。なるほどね、と智樹は自分が呼び出された理由の一切を承知した。
あの婆ちゃんと二人暮らしだったら、そりゃ言えねえわな。
「やったじゃねぇか。……それはだな、男が子孫を残すための……」
「知ってるよ」
説明をしようとすると途中で遮られる。
「じゃ、何だっつーんだよ」
「これ……、どうしたらいい?」
「どうしたらって、洗濯に出すしかねぇよ」
「このまま?」
「そのまま」
優也は信じられないという顔をした。
「智樹兄ちゃんもそうしてたの?」
「ああ、フツーに出してた」
「伯母さんは何も言わなかったの?」
「言わねえよ。……まあ、ガッビガビだったからな。気づくだろうけど。……大丈夫だよ、大人はこういうことは見てみぬふりしてくれるからよ。何なら俺が婆ちゃんに言っておいてやろうか?」
「やめてよ」
「何でだよ。……あのなー、これはお前が成長してる証なんだから、婆ちゃんにとっても嬉しいことの筈だぜ?」
(……マジで婆ちゃんには報告しておこう)
これから思春期に入って行く優也の体の変化は祖母も把握しておいたほうがいいし、これを隠し続けて祖母に優也に精通が来ないと気を揉ませるのも気の毒だ。