不思議な赤ん坊-1
大理石でつくられた巨大な広間の中を移動すると、やがて使い慣れたキュリオ専用の食卓が見えてきた。そこで家臣は頭をさげ下がっていく。
真ん中には銀の燭台に美しく彫刻されたキャンドルが輝き、その光が照らしているのは人の世界でいうバロック調の椅子とテーブルだ。キュリオは特別な宴や会食以外、誰かと共に食事をとることはないため椅子はひとつしかない。
さらに近づくと、にこやかにキュリオの椅子をひいて腰をおろすよう促すのは給仕担当の侍女だった。
「待たせたね」
使い慣れた椅子に腰を落ち着けると、ほどよい弾力が肌を押し返し主の体にぴったりと馴染む。そして、ほっと一息つくと・・・食前酒にはじまり、ジルや他の料理人たちの自慢の一品が次々と運ばれてきた。
まず、いつものように食前酒に手を伸ばすと・・・
「・・・しばらく酒は控えたほうがよさそうだな」
と小さく呟き、伸ばしたその手を水の入った別のグラスへと移動させるのだった。
それからキュリオはジルのセンスが際立つ料理を口に運びながらも・・・しきりに何かを気にしている。異変に気が付いたのは後方に待機している侍女だった。
「いかがなさいましたか?キュリオ様」
もぞもぞと何かを頬に当て、首を傾げているキュリオの後ろ姿はとても不思議な光景だったのだ。
すると振り返ったキュリオは思いもよらぬ言葉を口にした。
「人肌ていど、とはいうものだが・・・難しいものだな」
「人肌・・・ですか?」
驚いた侍女は目を丸くし、キュリオとの距離を縮めると・・・彼が握っている小さなボトルを目にした。
「・・・中に入っているのは何でございましょう?」
ただ白い液体。
としか彼女の目にはうつっていないため、悩むように首を傾げている。
「ミルクだよ。自分では人肌がどのくらいか・・・よくわからないものだね」
照れたようにクスリと笑ったキュリオを見て、侍女も「ふふっ」と声を漏らして笑う。
「もしや・・・噂のあの子にでございますか?
もしそうならキュリオ様が直々にやらずとも・・・」
と、そこで言葉を区切り目を細める侍女。
「しかし、キュリオ様にそのように微笑まれては・・・私も応援したくなりますわ」
今までにない幸せそうな顔をして笑う、このキュリオの微妙な変化は彼をよく知る者にはすぐにわかるのだった――――
「いい頃合いかな」
キュリオは食事もそこそこに適温になったであろうミルクのボトルを手にして立ちあがった。
「キュリオ様・・・もうよろしいのですか?」
テーブルに並べられた料理の中には手が付けられていないもあり、普段の彼の食事量からしても足りていないことは明らかだった。
「ああ、私はもういい。
おなかをすかせている子が待っているから部屋に戻るよ」
片手をあげ退室しようとするキュリオの後ろ姿を数人の女官が急ぎ足に追いかける。
中には世話係として先程キュリオの部屋にいた女官の姿もあった。
「お待ちくださいキュリオ様っ!赤ん坊の世話でしたら私たちが・・・」
いくらなんでも自分の子でもないのに、一国の王にそんなことをさせるわけにはいかない。
しかし、キュリオの反応は薄く・・・
「君たちはそろそろ休みなさい」
そう言う彼の瞳は女官たちの姿を映しておらず、ただ一点、己の部屋の扉へと向けられていた。
「で、ですが・・・っ!」
彼女たちの声もむなしく、キュリオはひときわ美しい重厚感のある扉を軽く押しのけると振り返りもせず扉を閉めた。彼が女性を愛でる対象として見ていないのは今も昔も変わらないが、城に仕えて間もない侍女などは淡い期待や恋心を持つ者も少なくない。だが、そんな期待はすぐに意味の為さないものであることを身を以て知る事となる。
取り残された女官たちはどうすることも出来ず、心配そうに扉をただ見つめていた――――
―――キュリオは月明かりに照らされた静かな室内をみまわし、寝台から一番離れているキャンドルに小さな灯りをともす。
なるべく音を立てぬよう、そっとベッドの端に腰掛ける。
そして、己の体の重みでわずかに揺れたベッドにはっとして・・・
慌てたように小さな赤ん坊の顔をのぞき見た。
「・・・・・!」
そこでキュリオは驚いた。
眠っていると思っていた赤ん坊がじっとこちらを見つめていたからだ。
「・・・いつ起きたんだい?ひとりにしてすまなかったね」
そう囁きながら、あたたかな小さな体を抱き上げると、近くに置いたミルクのボトルを手繰り寄せた。
「おなかがすいているだろう?これを飲みなさい」
優しく腕の中で赤ん坊の頭を固定してやり、ボトルを口元に近づけると赤ん坊は不思議そうにそれを見つめた。