不思議な赤ん坊-3
気心の知れた彼と、他愛もない話に花を咲かせること約一時間。
差し入れた酒をたいそう気に入ったジルはほろ酔い気分で寝台へと転がっていった。
キュリオが部屋を訪れる前からアルコールが入っていたらしく、すっかり出来上がってしまっていたようだ。
「遅くに邪魔したね。おやすみジル」
苦笑しながらジルの体にシーツをかけてやると、キュリオは部屋の明かりを消し静かに部屋をあとにした。
来た道を戻り、今度は脇目も振らず中庭をすすむ。
(幼子への食事はあまり間を空けなかったのではなかったかな・・・)
本格的な子供の世話をしたことがないキュリオだが、この敷地内に孤児院があるため基礎知識くらいは身につけている。しかし、そう思ったとたんに不安がつのり・・・彼は厨房のミルクがしまってある保管庫へと向かったのだった――――
カタンと鍋の金属音が鳴り、バタンと保管庫の扉を閉める音が響く。
さらにチャポチャポとミルクを注ぐ音が続くと・・・鍋底を熱する火のあかりで部屋がほのかに明るくなる。
「ボトルはたしか・・・このあたりにしまってあったな」
火の加減を気にしながら棚に近づくと、いくつかの小さなボトルが目立つところに並べられているのが見えた。
(・・・皆に気を遣わせてしまったか)
見て見ぬふりをしながら助けになってくれる者たちに内心感謝しながらも、キュリオはあたためたミルクをボトルへと移していった。
今度は布に包まずとも、ほんのりあたたかい程度だ。
「初めてにしては・・・上出来か」
ボトルに栓をし、自室を目指す。なぜかその足取りは軽く、眠気も感じない。
さらには彼女が起きていくれていたら・・・とまで願ってしまっている始末だ。
(いや、幼子がこんな時間に起きているのはよくないな)
と、己に言い聞かせながらも浮足立っているのが自分でもわかる。
はやる気持ちを抑え、そっと自室の扉を押しのけ寝台へと近づいた―――
「おや・・・私の願いが通じてしまったようだ」
そういって目元をほころばせるキュリオは、大きな瞳を瞬かせる彼女の額へと口付けを落とす。
涙のあともなく、ぐずった様子は見受けられない。
「お前は本当に大人しい子だね。眠れないならちょっと外に出てみようか?」
(あの変わりない風景も、この子となら・・・)
パチクリと瞬きをする赤ん坊を腕に抱き、風邪をひいてしまわぬよう柔らかな羽織でその体を包んだ。
「さぁ行こうか」
階段を行くキュリオは赤ん坊に余計な振動を与えぬよう、ゆっくりと足をすすめる。ふと、この広い階段を彼女がひとりで下れるようになるのはいつだろう・・・と、思い描いている自分に驚いた。
「・・・一体私はどうしてしまったんだ?」
ミルクをあげ、胸に抱くことに幸せを感じ・・・共にひとつの景色を見たいと願う。そして彼女の成長した姿を想像し、隣で微笑んでいる己の姿を容易に想像できる。
そんなことを考えているうちに、月の光が燦々(さんさん)と降り注ぐ中庭に面した通路にたどりつく。
ここからでも見える色彩豊かな花の園。それらを囲むのは淡く輝く悠久の城。見事なコントラストはまるで額縁に飾られている絵画のようだ。そして穏やかな風が吹けば優しい花の香りと花びらが舞い、悠久の地を駆け抜ける。
「きゃぁ・・・っ」
遠くを見つめるキュリオの耳に赤ん坊の興奮したような声が届いた。はっとして腕の中に視線をうつすと、頬を染めた彼女が瞳をキラキラさせて景色に見入っている。
「ふふっ、ここが気に入ったかい?」
幼子はその言葉に再度はしゃぐような声をあげ、澄んだ瞳をキュリオに向けると見たこともない可愛らしい笑顔を見せる。
「・・・っ」
一瞬言葉を失ったキュリオは、今までに持ち合わせたことのない感情を抱かせるこの幼子に不思議な巡り合わせを感じた。
「お前の笑顔は不思議だね、私の気持ちを高揚させるようだ」
「きっと、この景色をどう感じるかではない・・・見る者の心が重要なのかもしれないな」
変わり映えのない見慣れた風景さえも、初めて目にする愛しいもののようにキュリオの瞳にうつり・・・そうさせたのは腕の中の小さな彼女の存在だと、彼は気づきはじめる。
――――しかし、まだ誰も知らない。
彼女が何者でどこから来たのか・・・。
この先、幕の開いたこの物語は大きく動き始めるのだった――――