不思議な赤ん坊-2
「わかるかい?ミルクだよ」
キュリオが穏やかに微笑むと、赤ん坊は視線をキュリオへと戻し・・・
「・・・ぅ」
と、鼻を鳴らすような声にならない声をあげた。
すると、小さな彼女の手が戸惑うようにボトルを握るキュリオの手へと伸ばされる。
しっとりと柔らかな手がキュリオの指先を握り、傾けられたミルクの雫がわずかにこぼれ落ちた。
そして、ほんの少し彼女の唇へと流れたミルクは無事、小さな喉を通り体内へと吸収されていく。
「上手だね、さぁ・・・もう少し」
赤ん坊は理解したようにキュリオの要求にこたえていく。
やがて、ボトルの3分の1にも満たない程度で彼女の食事は終わってしまったが、キュリオは感じたことのない充実感を覚えていた。
ミルクのボトルを置いて赤ん坊を両手で抱え直すと、優しく背中をさすりながら室内を歩き始める。
「明日、一緒に庭を散歩しよう。見せてあげたい花がたくさんあるんだ」
半ば、独り言のようにつぶやくと赤ん坊から規則正しい寝息が聞こえてくる。
キュリオの首元に顔を寄せ安心したように眠るその顔はどこか幸せそうで、見つめているキュリオの瞳にも至福の色が浮かんでいた。
彼女が眠ったあともしばらく抱き続けていたキュリオだが、ジルに酒の差し入れをする約束をしていたことを思い出し、名残惜しみながらももう一度ベッドへと小さな体を横たえた。
「すぐ戻るよ」
ピンク色に染まった頬をひとなですると、キュリオは足早に部屋を出て地下室へと足を向けた。
――――地下へと続く階段を下りていくと、ひんやりとした空気が肌に触れ、食物や飲料を貯蔵するには適した場所であることがよくわかる。
彼の好む茶葉などは離れの蔵に保管されているが、すべて庭の花々から生成した香りの高い良質なものだ。この悠久の国は常春(とこはる)のようにあたたかで、気温も気候も安定している。よって、森や草木はいつでも新緑のような彩を保ち、花もつねに満開だ。
(・・・精霊の国と悠久は似ているらしいな・・・)
万物に宿ると言われている実態のない精霊だが、極稀にその姿を見かけるときがある。
精霊の国と悠久が似ていると聞いたのもその彼からで・・・
その彼というのはすべての精霊の頂点に君臨する絶対的な存在、そしてキュリオと最も付き合いの長い齢千年を超えた最高位の王なのだった――――
キュリオは数多ある酒の中からジル好みの辛口のラベルを探し出すと、頷いて手を伸ばす。
「これならジルも喜ぶだろう」
かなり年代物で希少な酒だが、キュリオは惜しいとも思わず深いアメジスト色のボトルをその腕の中におさめた。そしてその重みを確かめながら使用人たちの住む宿舎へと向かう。
中庭を通り、滞りなく流れ続ける噴水のわきを歩きながら見慣れた景色を見渡してみる。
すると・・・水しぶきと月の光を受けた花々がキラキラと輝き、昼間とは違う幻想的な夜の顔を魅せていた。
「この風景はいつの時代も変わらないな・・・」
こう呟けるのも彼が長い時間を生きているからであり、しかし・・・自分が時間の波に取り残されているような錯覚に陥ることさえある。キュリオは一度空を仰ぐと小さくため息をつき、ジルの待つ部屋へと急いだ。
使用人の中でも料理長という立場の彼の部屋は宿舎の上位階層にある。
なるべく人目につかぬよう気遣いながら建物内へと足を踏み入れると・・・
ガハハと笑うあの楽し気な声が廊下にまで響いてきた。
クスリと笑いながらキュリオはひとつの扉の前で止まり小さくノックする。
『はっ!!もしやっっ!!』
とすぐに室内から彼の声が聞こえバタバタと足音ののち、扉が勢いよく開いた。
すると、室内からこちらを覗き込むのはジルと・・・見習いとおぼしきあの料理人たちだった。
「わわっ!!キュリオ様っ!?」
またも顔を赤くし照れたようにあたふたする男たちは、せわしなく室内を歩き回っている。
「これ!みっともない!!大人しくせんかっっ!!」
ジルの喝が飛ぶと、若い男たちは悲鳴にも似た声をあげた。
「は、はいっ!本日はこれにて失礼いたします!!」
「私のことは気にせずとも・・・」
キュリオが気を利かせて声をかけるが、彼らは頭が膝についてしまいそうなほど深く頭を下げるとそそくさと部屋を出て行ってしまった。
「いいんですよっ!キュリオ様!!
貴方様の姿をその目に出来ただけであいつらは十分過ぎる程ですからっ!!」
普段厳しい顔をしている彼だが、実はとても面倒見がよい。
こうして仕事のあとに皆を部屋に招き入れては労(ねぎら)い、もてなしているという噂はよく耳にしている。だからこそキュリオはそんなジルをさらに労うのだった。