いつもの風景-1
「いえいえっ!邪魔だなんて!!滅相もないっ!!!
どうぞゆっくりしていってくださいませ!!」
ジルと呼ばれた白髪の大柄の男はよほど嬉しかったのかいつにも増して声を大きくし、またガハハと笑った。そしてひとしきり笑うと老人はふと我に返り、キュリオに声をかけた。
「キュリオ様、もしや朝食のリクエストでしたかな?」
それを聞いた見習いとおぼしき若い男が急いで紙と羽ペンを用意し小走りに駆け寄ってきた。
「すまない・・・気を遣わせてしまったな、違うんだ。
あたためたミルクを少し分けて欲しくてね」
よほど意外だったのだろう。その場にいた全員がキュリオの思わぬ発言に目を丸くしている。
「ミルクを・・・?」
ポカンとしているジルにキュリオは頷き答えた。
「ああ、ティーカップにではなく・・・出来れば小さなボトルのようなものに入れて欲しいんだ・・・」
キュリオのその言葉を聞いてにわかに周りがざわつき始めた。
この美しい王がボトルにミルクを入れて飲むような趣味がある噂など聞いたことがなく、彼の嗜好は香りのよい茶葉やワインだったはずだ。
「か、かしこまりましたキュリオ様・・・すぐにご用意いたしましょう」
わずかに動揺したジルだが早々にミルクを鍋であたためはじめ、手頃なボトルを探して戸棚を開け閉めしている。その様子をじっと見つめていたキュリオはミルクが保管してある金属の棚の前までくるとジルと呼ばれる男に向き直った。
「ジル、これからしばらく私もここにお邪魔させてもらうよ。ミルクがしまってある場所も覚えた。次からは私がやるから、今回だけ頼まれておくれ」
(・・・つ、次からはキュリオ様がっ!?)
片づけをしながらこっそり様子をうかがっていた他の料理人たちは驚いたように手を止め、互いに顔を見合わせている。
(キュリオ様がミルクボトルを手に・・・い、いや!キュリオ様ならそれすらも様になっているに違いないっ!!)
数人の男たちはこの美しい王のその姿を想像し、違和感があるものの・・・それにすら尊敬と憧れの眼差しで胸を高鳴らせるのだった―――――
ジルから受け取ったミルクのボトルを布に包み、広間へ顔をのぞかせたキュリオ。
すると、すぐに家臣のひとりが気付き、足早にキュリオの元へとやってきた。
「よかった、キュリオ様!お部屋にいらっしゃらないのでどちらにいかれたのかと・・・」
「ちょっと用事があってね。ジルの所に行っていたんだ」
小さな布に包まれたボトルを持ち上げて見せるキュリオの仕草にほっと溜息をついた家臣は、食事の用意が整った席へとキュリオを案内する。
「なるほど!料理長のところにおいででしたか。彼に御用があるならば私どもが伝えに参りますので、いつでもお呼びつけくださいませ!」
そう言って振り返るこの男は、人好きする笑顔が目元に笑い皺をつくり、彼の内面が人相にそのままあらわれているような温厚で気の優しい家臣だ。
ジル程ではないが、中年と呼ぶにふさわしい年頃のこの男ともキュリオは付き合いが長かった。それだけ長くこの城とキュリオに仕えているということだが、彼らはキュリオのように命が長いわけではない。人の一生分の時間が過ぎてしまえば、やがて死が訪れ・・・永遠の別れがくる。
―――いまから五百年以上も昔。
キュリオが王に即位して間もないころ、頭では理解しているものの心が受け入れられず・・・そのことで辛い思いをしたことが何度もあった。だがそれが自然の摂理だと考えてしまえば理性が働き、すぐに王として気丈に振る舞うことが出来るようになってしまったのだ。しかしそのことで・・・彼はいつしか悩むようになる。
(・・・私は冷たい人間なのだろうか・・・)
何度、自問自答してもこたえは見つからない。いつか同じ境遇の他国の王や、先代の王たちの話が聞いてみたいと思っていたキュリオは運良く、自分より長く生きるひとりの王と接点を持つことになるのだった―――
ふと、昔のことを思い出し目を細めるキュリオ。
『・・・悲しみに目を反らす必要がどこにある・・・
重きを置くは消えゆく命をただ嘆くか、称えるかであろう?・・・』
言葉少ないながらも、こう教えを説いてくれたこの王は当時から他の王とはどこか違う異彩を放っており・・・彼の言葉にキュリオが光を見たのはいうまでもない。
(・・・しばらく顔を見ていないな、彼は元気だろうか)
目の前を歩く見慣れた家臣の背を見つめながら旧友に思いを馳せるキュリオだった。