交換日記-8
携帯片手に自動ドアを出たばかりの俺を迎えた空は、一時間前よりも暗い号泣一歩手前の灰色。今夜は恐らく雨だろう。
母さんを呼ぶために再びリダイヤルに指を向かわせる。数回のコール音の後、電話に出たのは父さんだった。
「正人か。どうした?」
何故父さんが出たかは尋ねないで、世にも不運な物語と迎えに来て欲しいという用件だけを伝えた。
「孝明のとこの病院だな? すぐに行くから少し待ってろ」
母親とは違ってまともな対応。当たり前の事がこんなにも幸せだと感じられるのは、今までが不幸過ぎたからなのだろうか。だが何かを忘れている気がする。大切な何かを……
因みに孝明とは孝介の親父さん。ようするにこの病院の院長先生。父さんとは高校時代からの付き合いだ。
家からここまで車で十分くらいかかるのに、五分かそこらで到着した父さん。
「雨が降る前に帰るぞ」
そう言ってドアを開けてくれた。これが母さんだったら「さっさと乗れ」に馬鹿野郎を加えて、ドアなんかは絶対開けてくれなかっただろう。父さんで本当に良かった。
「シートベルト締めたか? それじゃあ……」
刹那、蘇った忌憶。父さんが車に乗るとどうなるか。
「行くぜぇ!」
突如、前方から牙を剥きだしにして襲ってきた衝撃。そうだった。父さんはそうだったんだ。
世間一般では、ハンドルを握ると性格が変わる、と言う。しかし父さんの場合は……
「チンタラ走ってんじゃねえよ!」
アクセルを踏むと人格が変わる。それはもう見事なまでに。
今抜いた車も法定速度をオーバーしていて、決してチンタラ走っているわけではない。ただ父さんがおかしいだけだ。
「正人! 五分切れたら何か奢ってやるからな」
奢るどうこうよりも、もっと怪我人を労った運転をして欲しいと願うのは我が儘なのだろうか。
「五分四十一秒。まあまあだな。おい正人、着いたぞ」
永遠にも思えた五分が終わった。
強烈な負荷をかけられた体は素直に休息を求めている。このまま寝たら幸せだろうな。
少しずつ薄れていく意識の端に、あの日記帳の事が思い出された。今日は彼女と話していない事を思い出した。
返事は明日でいいだろう。そう思い、体と精神を安息の闇に横たえた。
がしかし、その束の間の安眠は一人の女性の怒声によって、僅か数分で打ち破られた。
「ドジりやがって。また金がかかるじゃねえか、この馬鹿息子!」
足を骨折した息子に発した第一声がそれ。思わず涙が零れる。我が母親の辞書に優しさという文字は無いのだろうか。
その後、母さんの怪我人に対するものとは思えないような罵声に耐えられなくなり、自分の部屋に逃げ込んだ。ベッドに身を投げ、ふとさっき思い出した日記帳の事を思い出す。時計を見ると、既に七時を回っていた。
返事は返せなくても、一応読んどいた方がいいだろう。そう思い、机の引出しの中に眠る日記帳を取り出した。