交換日記-10
チャリで全速力なら三十分とちょっとで着ける。夜間診察の受け付けが八時までだから、ギリギリ間に合うだろう。左足に力を込めて必死の思いでチャリをこぐ。
何時からか雨がぽつぽつと降り始めていた。
左足一本でチャリをこぐのはそうとうキツい。休みたいという気持ちもあるが、止まっていては閉院時間に間に合わなくなってしまう。
痛み止めがあまり効いていないのか、右足が再び疼いてきた。左足に力を込める度に、右足に重い痛みが伝わる。それでも漕ぎ続ける。
彼女は生きていないかもしれない。そんな思いを振り払うように。
ようやく着いた頃には、灰色の大雨が辺りを包んでいた。夕方に見た景色と違うのは、この雨と烏の声。それ以外は変わっていなかった。
急いで出て来たから、傘なんて持っていない。まだ門は閉まっていなかった。どうやら間に合ったようだ。
自転車を乗り捨て、松葉杖も使わずに入院病棟に駆け込んだ。
「すみません。この病院に藤崎真理さん、入院してますか?」
面会時間もとうに過ぎていたのに加え、全身ずぶ濡れだったから、当然訝ったが、それでも俺の必死の形相に渋々ながらも調べてくれた。
数分後、帰ってきた答え。聞きたくなかった。聞かないほうがよかった。
そのような名前の患者はいません。その言葉の意味する処……彼女は死んだ。
何故だろう。顔も知らない彼女の死がこんなにも悲しいのは。
何故だろう。知り合って一月も経っていないのに彼女の死がこんなにも辛いのは。
どうやって戻ってきたかは覚えていない。気がつくと門の前で立ち尽くしていた。倒れた自転車を横目に見る。傘は持って来なかったのに、何故か持ってきていた日記帳。一枚ずつ思い出すようにめくっていく。雨に濡れた紙は文字をぼかし、涙に濡れた目は視界をぼかした。
「あの……大丈夫ですか?」
急に途絶えた雨の感触。見上げると、白い傘が広げられていた。
「こんな所で傘もささないで……」
呆れたような声。振り返ると、そこには一人の少女。夕方、ベンチに座っていた彼女。ついさっきも、同じようにベンチに座っていた彼女。
「体、大切にしないと」
何処かで聞いたことのある、否見たことがある台詞。
「何時か後悔しますよ?」
はっとして思い出した。それじゃあこの娘が……
「ねえ、正人さん」
涙がまた溢れてきた。でも今度のは違う。さっきまでのものとは決定的に違う。
雨に濡れた体にも関わらず、彼女を抱き締めた。強く、強く……