an oil lighter-1
健はゆっくりと煙草に火をつけた。
吐き出される煙の先には、窓の奥でしんしんと降り注いでいる雪がある。
彼に現実を否応無く目を向けさせるが如く、隣家のクリスマスイルミネーションが眩く輝いている。
それは幸せの光を振りまいていた。
ただ彼には届かない。
華美である一方どこか優しさを醸し出すホワイトのル・コルビュジュのソファーに、
彼はただ独りひっそりと腰掛けている。
その視線の先には、握られたシルバーのオイルライターがあった。
今では唯一残された思い出のイルビゾンテ。
いつもは隣に佐奈がいた。
そんな彼女から去年のクリスマスに贈られたこのオイルライター。
―――「はい、これ」
「お、ビゾンテのオイルライターか。」
「うん、いいでしょ〜。
健はいつまでたっても煙草やめてくれないけれど、健の煙草を吸う仕草ちょっとだけ好き。
それにオイル入れ替えれば何回も使えるから、ずっと残るじゃん。」―――
健は彼女がいなくなっても、使い続けた。
使い続ける理由はわからない。
いや、わかってはいるのだが、彼は理由へ到達する事を拒絶していた。
2年半付き合った佐奈と別れた事に当初は後悔はしてはいなかった。
ただ、時が経つにつれ虚無感と罪の意識が否応無しに彼を蝕んでいった。
彼はそれらに耐えられるほど今は強くは無かった…。
健には両親と姉がいる。
ただし母親は幼い頃に捨てられ、健の祖父と祖母に養子として育てられた。
そして母親は20歳の時、自動車免許を取得するために得た戸籍謄本を見て初めて知った。
自分の出生を。
だが、養子として養ってくれた両親にはどこか迷惑はかけられないという思いがあった。
ゆえにそれ以上のことを両親に問い詰めることはできなかった。
そしていつしかお見合いの話が舞い込み、両親の薦めゆえに健の父親と結婚した。
お見合い当時には、付き合っていた彼氏がいたが、母親は自分よりも両親の想いを選択した。
そして姉が産まれ、健が産まれた。
家庭は裕福ではなく、両親の喧嘩も頻繁にあったが、
健は幼少の頃から別段不自由な生活を送ったわけではなかった。
家族が健を愛してくれていたから。
しかし健が佐奈と別れる少し前に、儚くも運命が動き出した。
健の祖父が亡くなった。
祖父の葬儀を終え、父親は弔意休暇を取ることなく仕事へと戻った。
父親の会社でのポジションを考慮すれば、悲しみに打ち拉がれている場合ではなかった。
そして、姉と母親、そして健の3人で夕食をとった時だった。
どんな意図があったのか、自然と口に出てしまったのか、それとも今言うべきことと判断したからか。
母親の口から健の出生が明かされた。
健の両親は姉を出産してから母親のお腹に第2子を誕生させた。
しかし、その子供はこの世に生を解き放つことなく、流産という形で命の灯火が潰えた。
そして、悲しみを克服した両親は、この世に健を誕生させた。
その一部始終ではないが、要所要所を健は生まれながらにして初めて聞かされた。
姉はどうやらその事実を既に知っていたようで、無言のままだった。
彼は『そうなんだ』とただそれだけ言い残し、食事を続けた。
食事の後、実家では彼はいつも庭に出て煙草を吸っている。
そしてこの日もいつものように吸った。
ただ吐き出された煙は、春の足取りを感じさせる空へと哀愁を漂わせながら撒かれていった。
佐奈への想いと共に。
それから数日後、祖父が亡くなったことで慌しくなるからと、
連絡を絶っていた佐奈に実家から電話をかけた。
久方ぶりとなる電話は別れの電話だった。
この時健の精神状態は少し狂っていたのかもしれない。
家族の前では平静な自分を装っていたが、どこかが狂い始た。
狂ったギアは変速され、ローに戻ることなく、エンジンを切ることもなかった。
健は佐奈へ一部始終を語った。
携帯電話の奥からは佐奈のすすり泣く声しか聞こえなかった。
健は断固として別れる以外の道を拒否した。
佐奈はそれでも彼の選択を受け入れることはできなかった。
だが健は、自分だけが幸せな道を選ぶことはできなかった。
これまで支えてくれた家族を捨て置くことはできなかった…。