9.綻び-8
男にメールして程なく運転手が路肩に寄せた。もうかなり近くまで来ていたようだ。
「どうも……」
釣り銭を受け取りながら一言だけ言葉を発する。下車間際に、運転手の目がネットリと自分の体を追ってきているように思えた。ひょっとしたら、後部座席で行われた自分自身の盗撮に気づいていたのかもしれない。ゆったりとしたチュニックに覆われた上半身は、男を魅了するその艶かしいラインを隠しているものの、レース越しに薄っすら見える腕と、対照的にタイトミニから晒した美脚の滑らかな肌だけでも、視姦の目線で追うに値する程なのだから無理もなかった。運転手だけではない、五反田駅から桜田通りを挟んだ界隈に雑多な人間が多く歩いていた。御徒町とはまた違った、キャバクラや風俗が犇く一角へ現れた最高レベルの女に視線が集中する。どの店の子だ? 歓楽目的で訪れた男たちの好奇心が渦巻いている中、周囲を見渡すと、本当にちょうど道路が線路をくぐる所にあの男が立っていた。初めて会った時とどこが変わったのかわからないほどの、相変わらずの冴えない出で立ちだった。
「人多いよ、ここ。私のこと分かったら、マズいんだけど」
近づいていって開口一番そう告げると、ニタァ、と、記憶に刷り込まれて慣れた筈なのに、やはり寒気を感じる笑みを向けられた。
「あはっ……、サングラスしてるから大丈夫でしょぉ? 前も大丈夫だったし」
だが、前に会った時と、今とでは社会的な知名度が断然上がっているのは悠花自身感じているから、その言葉に安心感は微塵も感じなかった。
「そんなことよりぃ、ちゃんと外見も約束守ってくれたんだねぇ……」
改めて男が悠花のつま先から頭の天辺までを何往復も視姦してくる。運転手や周囲の男の比ではない、衣服を身に纏っているのが疑わしくなるほどの邪淫だった。
「俺と会うときはミニ必須……、うんうん。とても似合ってるよぉ」
露出の少ない格好、そして周囲に同様のスタイルの同年代の女の子が歩いている状況ならばまだしも、仕事に出かけるときもプライベートでも履かないミニスカート。男には言っていないが、もともと持っていないのだから、態々今日のために購入しなければならなかった。犯されたときに履かされたデニムミニ、謂わばギャルスタイルとでもいうべきタイプのミニを選ぶ気にはなれず、ネットストアの中でもなるべくシンプルな、かつ男の要求を満たす丈のミニを選んでいた。指定の下着を着けているか再三メールチェックされる中で、
『今後俺とエッチ目的で会うときは、
膝上十センチ以上のミニ必須ね。
本当は二十センチって言いたいけど、
選択肢も狭まっちゃうだろうから、
サービスだよ』
毎度のことながら「譲ってあげている」体で指示してくるのが気に入らないが、それを遵守しなければ、罰と称して何をされるか知れたものではなかったから、悠花は従わざるをえなかった。
「……で? スカートの中はもちろん……?」
しつこかった。メールだけではなく、こんな街中で問い質すことに悦びを感じているのだろうことは悠花にも十分伝わってきてたから、
「さっきメールしたでしょ」
と一際恬淡と答える。遊興街の近くで人通りも多い中、男の前では自然とそのポーズになってしまう、腕組みして肩幅に開いた片足を気持ち前に出した立ち姿で、サングラス越しの睨目を向けていた。
「わからないじゃん? 一回撮ったのを使いまわしてたりしてさ」
運転手の目線の危険を犯して指示に応じたのに、疑義をかけられてムッとなって、
「ちゃんと撮ったし。ね、もう行こうよ。いつまでここに立たせてんの?」
と苛立ちの声で急かす。
「確認させてくれる?」
「何言ってんの?」
腕組みを崩さず、更に眉を顰める。
「くくっ……、悠花ちゃんの一週間分のニオイ……、いっぱいクンクンさせて欲しいなぁ」
そもそも醜悪な素顔が変態欲求に歪むと、余計に目を背けたくなるような賎劣さが滲む。
「……こんな所で、そういうこと言うのやめてくれる?」
「ふふふ……」
五反田の雑踏の中、睨みつけられても全く怯んだ様子はない。「クンクンさせてくれるよね? ……瀬尾悠花ちゃん?」
「ちょっとっ……!」
ドキリとして心中かなりの狼狽を見せたが、何とか姿勢を崩さず、サングラスの中の目線だけで周囲を見回した。男の口にした名を聞いてこちらを気にしている人物はいないようだった。