想-white&black-O-5
―――カチャ、と音がした。
コーヒーを飲み終えた楓さんがカップを皿の上に乗せたからなのだが、静まり返った空間にその音が殊更響いた気さえする。
「つまらん話をしてしまったようだな。そろそろ失礼するよ」
楓さんはそう言って立ち上がると私に視線を向けた。
「俺はこれから用事もあるから戻るがお前はどうする? まだいるなら帰る頃に迎えに来させるが」
こんな風に私に気を遣うなんて珍しい。
普段なら希望を尋ねる事もないし、むしろ有無を言わさず一緒に帰らされるだろうと思っていた。
ただ具合の悪い麻斗さんの側についていてあげたい気持ちもあったが、今は元気づけてあげられるような言葉が見つからない。
「………私も、これで失礼します。今は麻斗さんとどんな顔をして会っていいか分からないですから。自分の中で整理をつけてからまた会いに来ます」
そう伝えると一瞬意外そうな表情を浮かべたものの、すぐいつもの顔に戻る。
「そうか。柚木、色々と世話になった。麻斗によろしく伝えてくれ」
「かしこまりました。こちらこそありがとうございます。お車までお送り致しましょう」
柚木さんは一礼すると私達に優しく微笑みを返してくれたのだった。
車に乗り込み麻斗さんの家を後にした私と楓さんはずっと無言のままで、一樹さんもその様子を察してくれているのか何も聞かずにいてくれた。
だが車が走り出してからしばらく経った頃楓さんが私を見ないまま呟くように口を開いた。
「……聞かない方が良かったか?」
「え?」
「麻斗の事だ。あんな話を知りたくなかったんじゃないのか? お前は麻斗に随分心を許しているようだからな」
楓さんの言葉に私は何も言えずギュッと拳を握り締める。
知らない方が良かったのだろうか。
確かにあの話を聞いてしまって麻斗さんとこれからどう接していいのか迷っている。
嫌悪感があるわけでも軽蔑したわけでもない。
ただ知らないふりをして、これまで通り普通にしていればいいのだろうかという迷いがあった。
もし私が彼の過去を聞いたということを知っていることを麻斗さんが知ったらどう思われるんだろうか。
「花音、お前は麻斗を軽蔑するか?」
私は楓さんの言葉に首を横に振る。
例えそんな過去があったとしても麻斗さんが悪いことなんて何1つないし、彼の優しさや人間性が私の中で変わることはないのだから。
「そうか」
私の思いが伝わったのか、楓さんはそう一言返しただけだった。
だけどその声は幾分柔らかかった気がした。
「それならそれでいい。お前が悩む必要なんかない」
「え? ……っ」
楓さんを見るといつの間にかその瞳は私を見つめていて、相変わらずまっすぐな強い視線に思わずたじろいでしまう。
「お前が麻斗に好意を寄せているのは気に入らんが、変な目で見るような事がなくて良かったと思っている」
「楓さん……」
「煩わしい事情で複雑な関係ではあるがな……。あれはあんなヤツだが一応俺の友人だからな」
そう言って珍しく普通に笑う楓さんを見て私の心臓が思わず音を立てた。
反則だと思う。
そんな風に笑うなんて。
「まあ、そうだとしても麻斗がお前に手を出そうとしているのは許しがたいがな。それはそれ、だ」
「あっ……、んっ」
楓さんの指が私に伸びてきて顎に触れたと思った瞬間、唇を唇で塞がれる。
いつものような荒々しい攻めるキスではなく、深いけれどどこか慰めるような優しいキスだった。