想-white&black-O-4
「それより問題だったのはその後でございました」
それまで黙って私達の会話を聞いていた柚木さんが静かに口を開いた。
その口調は先程までよりずっと重苦しい。
なぜか過ぎった嫌な予感に息をのむ。
「私達の知らないところで麻斗様は奥様様から性的な虐待を受けていました」
―――知らなかった。
いや、私がその頃の麻斗さんを知るはずもないのだけれど。
あまりの衝撃的な話しは頭で内容は理解できても感情が追いつかない。
何の言葉も見つけられないまま呼吸の仕方を忘れてしまったように固まったまま動けずにいた。
私が麻斗さんの立場になって考えたところで分かるわけがない。
私がショックを隠せないでいるのを楓さんと柚木さんが静かに見つめる。
それから少しして柚木さんが口を開いた。
「その事が発覚してから旦那様と彰斗様は奥様を厳しく叱責されました。もちろん離婚の話まで進んだのですが……」
そう言えば柚木さんはまだその人の事を"奥様"と呼んでいた。
と言うことは、もしかしてまだ……?
「その時、麻斗様がおっしゃったのです。"離婚する必要はない"と」
「え? どうしてなんですか? そんな酷い目にあったのにどうして麻斗さんはそんなこと……」
「それは……」
「……俺のためだ」
それまで黙っていた楓さんがポツリと呟いた。
「楓、さん?」
意味が分からなくて楓さんの顔を見つめた。
楓さんは表情こそ変わっていなかったが、その中にどこか痛ましさが滲んでいるように見えた。
「あの女は欲の塊のような女だ。自分の物になるのなら別に結城でも構わなかった。そしてそれは"英"でも構わない……」
「どういう事ですか?」
「あいつが最初に目をつけたのは英だった。それを結城の当主、麻斗の父親が気付き自分が引き受けた形になったんだ」
「何でそこまで結城の家がする必要があったんですか。それにその女性だって遠ざけるとか何か方法があったんじゃ……」
どうして英家のために犠牲になるような真似を?
不可解な疑問は次々に溢れ出て言葉に詰まってしまう。
そんな私を静かな声が呼ぶ。
「花音様」
「柚木さん……」
「花音様はご存知ないでしょうけれど、結城家はずっと昔から英家に仕えてきたのです。それに奥様のご実家もあちこちに顔が広く政治的な影響が強い一族でしたから、無碍にもできませんでしたし利用価値もありましたから」
「英家に仕えて……きた?」
「もちろん表向きは個々に独立した由緒ある一族ですが、結城家本来の姿は英家を護るためにあるのですよ」
それはつまり今回のことで言えば、麻斗さんや彰斗さんの父親は英家を護るためにその人と結婚までしたというのか?
自分の手元に置いて英に危害を加えないか監視するために。
「今は昔より厳格な主従関係ではない。だが基本的に結城家の存在は英を護るためにある。その女のことも放置すればいずれ俺に手を出そうとするかもしれない。そうなることを避けるために目の届くところにいてくれた方が対処しやすかったからな」
楓さんの言葉は私にとって到底分からない世界を目の前に突きつけた。
それでは本当に麻斗さんは楓さんを護るために傷付いても耐えてきたというのか。
「そんなの、麻斗さんが可哀相すぎます……っ。いくら家の事情やしきたりがあるからって麻斗さんが犠牲になるなんてそんな……、酷すぎる……」
もう過ぎたことに私が口を出すことではないのかもしれない。
それでも麻斗さんのことを考えればあまりにも理不尽な話にしか思えない。
当時はまだ子供と言ってもいい年だ。
誰にもぶつけられない憤りと悲しみを抑えることができなかった。
こんなこと楓さんや柚木さんに言っても仕方ないことなのに。
「……ああ。そうだな」
楓さんは私の言葉に怒ることも反論することもなく一言そう呟いて受け止めるだけだった。