真里菜の憂鬱-2
(2)
翌朝目覚めた時、真里菜は兄の腕に抱えられていた。
(ずっと抱っこしててくれた……)
仄かな幸せが心に灯っている気持ちがした。
(兄の匂い……)
肩に顔をつけて吸い込んだ。安心する匂いだと思った。
父親とはまったく異なるけれど、子供ながらに異性の匂いを嗅ぎ取っていたのだと思う。
(ずっとこうしていたい……)
ほんのちょっと、思ったものだ。
じっと横顔を見つめていたら兄が目覚めて目が合った。恥ずかしくて眠ったふりをしたけど遅かった。
「淋しくなかった?」
「うん……お兄ちゃんは?」
「うん……真里菜がいたから」
そういえば昨夜、初めて名前を呼ばれたことを思い出した。
「ほんと?」
「うそだよ」
「やだあ」
「だってすぐ寝ちゃったぞ」
「そうだっけ……」
そうだ……兄の体温を感じてほんわかと眠気に襲われた記憶があった。
その日から両親が夜勤の夜は二人で寝るようになった。淋しいどころかいつしかその日が待ち遠しくなった。
「今度、お父さんとお母さんの夜勤はいつ?」
訊いたことがあった。
「ごめんね。来週の土曜日、また一緒の夜勤なの」
淋しがって訊いたと思ったようだ。
兄と過ごす日は朝から嬉しくて落ち着かなかった。夕方両親が揃って家を出るともうモードは二人っきりの世界になった。
ごはんを済ませてお風呂から出るとパジャマに着替えて枕を持って兄の部屋に行く。
「おじゃまします」
おどけて言うと兄もお菓子やジュースを用意して待っている。
ゲームをしたり、アイドルの話をしたり、楽しくて仕方がなかった。
(毎日でもいい……)
そう思ったこともあった。
つい最近一緒に暮らし始めたことが嘘のように兄の存在は真里菜の中に溶け込んでいた。もっとも、当時はそんな難しいことは考えず、ただそばにいる喜びに浸っていたのだった。
兄がベッドに腰かけると真里菜も隣に座る。そして腕を絡ませる。ふだんは決してしない。この日だけはくっついていい。自分の中でそう思っていた。
(淋しいから……)
そろそろ寝る時間になって胸がときめく。
兄が横になると、腕を取って起こす。
「歯磨きしてからよ」
「面倒くさいな」
「だめよ。お菓子食べたんだから」
一人で階下の洗面所に行くのが怖かったのだ。
二人で並んで歯磨きをする。鏡の兄が変な顔をして笑わせる。お尻を横に振って兄にぶつけてもやめないでもっとおかしな顔を見せる。我慢できなくて噴き出してしまう。
「ずるい」
「ずるくないよ。真里菜もやってみな」
「できないよぉ」
戯れのやり取りのあと、兄はやさしくなって彼女の手を取って階段を上って行く。
ベッドに入ると兄の匂いを吸いこんで幸せなひとときが訪れる。
(お兄ちゃん、好き……)
はっきり心で呟くようになったのは四年生になった頃だった。
『兄』という存在はあったが、『亮輔』という別の『兄』が意識されるようになっていた。
自分を抱き寄せる兄の腕の力が弱くなると、
(もっと、ぎゅっとして……)
行き場を知らないもやもやとした気持ちが想いを戸惑わせていた。
それでもまだ明確な性的意識を抱くまでには至っていなかった。『兄』と『亮輔』は水面をを漂うように揺れていた。時として気持ちは高まるものの、少しすると兄妹になったり、まだ彼女の心には幼さが大人の芽生えを被っていたのである。
五年生になった頃のことである。
二人でご飯を食べながらたまたまホラー映画を観たことがあった。その時はキャーキャーと声を上げながらも楽しんでいたつもりだったのだが、お風呂に入る時になって急に恐怖の場面が頭に浮かんで離れなくなってしまった。
「お兄ちゃん。さっきの映画、思い出しちゃった。怖い」
「平気だよ。映画なんだから」
「だって、怖いもん」
外国の映画で、お風呂から死体が浮かび上がってくる場面があったのである。
「お風呂、怖いよ」
「怖がりだなあ」
「お風呂に死体があったらどうする?」
「そんなことないよ」
笑ってはいたが兄も同じことを思い浮かべたのかもしれない。徐々に笑いが消えて真顔になった。
「お兄ちゃん、一緒に入って」
何の思惑もなく縋って言ったのだった。
「そうしようか」
「うん」
淋しさに寄り添った時のような自然の成り行きであった。
二人で戸じまりを再確認して、浴室に行く時も手をつないで行った。部屋中の電気を点けたままにして、
「一緒に開けるんだぞ」
浴室の扉も二人で開けた。
「ふふ……」
ほっとして笑い合った。
「やっぱりお兄ちゃんがいると安心」
この頃、真里菜の体は幼児体形を脱却しつつあった。胸は小さな膨らみを見せ、腰回りもふっくらとしてきていた。だがまだ初潮を迎えておらず、発毛もなかった。兄の体を意識することもなく、浴槽に二人で体を沈めてはしゃいだりしていた。
「お湯がなくなっちゃう」
音を立てて溢れるお湯を眺めて二人して笑った。
性の感覚が不意に訪れたのは後ろ向きに兄の上に座った時だった。
「重い?」
「平気だよ」
間もなくお尻に動くものが感じられた。兄の手は浴槽の縁に出ている。手ではない。何気なく手を回して触れると兄が腰を引いた。ペニスであった。
(さっきまでこんなではなかった……)
『勃起』……。不確かながら知識はあった。友達同士で話したこともある。考える間もなく兄が、
「熱くなった。先に出るよ」
「やん、一人じゃ怖いよ。あたしも出る」
立ち上がった時に垣間見たペニスは入った時とは正反対に上向きで大きさも倍ほどに見えた。