歪な氷雪-30
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オリンピックの話題も下火になりつつあった。それこそ人々の記憶から消えることはないが、取り立てて蒸し返すほどでもないと誰もが思っているのかもしれない。
そうやって氷と雪の競演は幕を閉じたのだった。
「そのストラップ、気に入ってくれたみたいだな」
箸を休めて雅治は言った。
彼の娘は携帯電話をいじる手を止めずに、上目でちらりと父のほうを見たが、とくに返事はしなかった。
バレンタインのお返しにと雅治が買ったストラップが、美羽の携帯電話からぶら下がっている。思い入れのある品というわけでもない。先のスキー旅行の折に何となく手にした物だった。
『柏木』の蕎麦が食べたいと言い出したのは美羽のほうである。
高齢の主人は一年を通してほとんど表情を変えることがない。それはすなわち、変わらない味を提供するという姿勢に反映されていた。
「ごちそうさま」
十割蕎麦の器が空になったので、雅治は湯飲み茶碗に口をつけた。
「少しだけ訊いてもいいか?」
「うん」
美羽は自分の手元を見たまま頷いた。
「あの旅館に泊まった時のことなんだが、おまえ、泣いてたよな?」
風呂を出て部屋に戻った時のことを雅治は言っている。
「それがどうかしたの?」
「なぜ泣いていたんだ?」
だって、と前置きしてから美羽はこう言った。
今回の旅行があまりにも楽しかったから、一泊二日で終わってしまうのが寂しいと思ったからだと。
これで謎がひとつ解けたが、雅治の質問はさらに続いた。
「俺のことは、その、いつからなんだ?」
「何が?」
「だから、何というか……」
先制したつもりが、いつの間にか娘に負かされている気分になっている。
そんな父を見かねて、
「友達に言われたから」
と美羽は隠さずに言った。
「友達って、高校の友達か?」
「うん」
「何を言われたんだ」
「気になる?」
気持ちをもてあそばれていると思いつつも、雅治は娘を怒る気にはならなかった。
「かっこいいとか、背が高くて素敵だとか、みんなそんなふうに言ってる」
「まさか」
「だからあたしも、そうなのかなあ、なんて思ったりしてたら、いつの間にかやきもち妬いてて……」
美羽の言葉に嘘はないのだろう。彼女の耳は赤くなっていた。