第1話 将軍-1
@ザクト・クロム=ザ・ピル (フェール帝国内アルア国国王兼帝国陸軍大将)
深い森は欺瞞に満ちていた。
種々の生物たちが見せる擬態の連続。沼の中に潜み獲物を狙う巨大な蛙は皮膚の色を巧みに変化させ、一見すると腐った木にしかみえない。絨毯のように隙間なく繁茂した水生植物は水面を覆い尽くし、その下に水があるようには思えない。蔓と蛇は見分けが付かず、木の枝と昆虫の区別もない。瑠璃色に輝く巨大な多足類は身に毒を持っていることを教えてくれたが、毒を持たない多足類も毒を持つ種と同じように瑠璃色に輝いていた。
ここではすべての真実が虚構と地続きだった。あらゆる種が他の種を出し抜き、やがて訪れるだろう好機に向けてじっと身を潜めている。一見すると穏やかなこの森の奥には、種々の生物たちが見せる偽装、変身、策略、見せかけに満ちていた。
ザクト・クロム=ザ・ピル将軍はこの生物たちが見せる多様な迷彩を本能的に軽蔑していた。あらゆる生物のうちでもっとも強いと確信するピル将軍は迷彩を弱さの象徴と考え、迷彩を持つ生物はすべて自分よりも弱い生物であると考えていた。
鋼鉄の肉体を持つピル将軍は枯れ葉模様の狼を剣の一振りで打ち倒し、巨木の頂から襲いかかる巨大な猿の頭を拳一撃で叩き潰した。ピル将軍は確かにこの地でもっとも強い生物であり、この深い森にある食物連鎖の頂点に立つ者であった。
フェール帝国内で起こった内戦が終わり、ピル将軍はようやく彼の治める辺境の地に舞い戻ることができた。武勇の誉れ高き将軍は帝国で起きた内戦では重要な役割を果たし、現皇帝が今の地位にあるのは将軍のおかげといっても過言ではなかった。
皇帝から帝国内の軍隊すべての統帥権と元帥の地位を勧められたが、ピル将軍はこの皇帝からの申し出を断る。その代わりに、彼は生まれ故郷であるこの深い森に戻ることを願い出た。
結局、皇帝は渋々ながらこの申し出を許し、猛将を野に放つことにした。
皇帝からすれば、帝国首都から遠く離れた辺境の地にこのような猛将を放つのはかなり危険ではあったが、彼の願い出を断れば、また内戦になりかねい。いまだ帝国は安定しきっていなかった。
ピル将軍も皇帝からの申し出を断るとなれば、皇帝から疑われ、下手をすれば縊り殺される事位わかっていた。それでもなお、ピル将軍は帝国から遠く離れた故郷に戻りたかった。
戻りたい理由はふたつあった。まだ帝国内には動揺があり、現皇帝の地位もそれほど安定しておらず、ここで下手に現皇帝から恩を受ければ、明確に現皇帝側だと示す結果となり、危険だという打算から。
それにもうひとつ。
帝国の中心にいる限り、この種の打算を毎日のように考え続けなければならないことだった。欺瞞とはピル将軍の軽蔑するところだったが、帝国内部で重要な地位を占めれば、駆け引きや嘘の連鎖の中に身を投じなければならない。将軍にとってそれがなにより耐え難いことだった。
将軍の生まれ故郷『アルア』は深い森と険しい山々に囲まれた小さな城塞都市だった。特筆すべき産業があるわけでもなく、人口が多いわけでもないアルアに、危険な森を通ってまで来訪するような者など、一部の物好きを除いて、ほとんどいなかった。
他の諸都市とほとんど交流を持たない隔絶した都市国家アルアにも、帝国侵略の波が押し寄せる。それはピル将軍の父の代の頃だった。
その頃、フェール帝国はアルアの東にあるクレイという名の都市国家との戦いに苦戦中だった。少しでも多くの兵員が欲しい帝国はアルアにクレイ制圧のための出兵を要請、ピル将軍の父はその要請を快諾、そのまま、アルアと帝国との間で同盟が結ばれることになった。
小国と大国に対等の同盟はありえず、実質的な併合といった同盟だったが、ピル将軍の父は『アルア国国王』であり続けることに執着心などなく、あっさりと『フェール帝国内におけるアルア国国王』となる道を選んだ。
さしたる抵抗もないまま、同盟は結ばれ、城塞都市アルアは帝国の一部となった。