陥落-1
“そうだ。もうお前にはそれしか残されていないんだよ。”
男は恵がその選択をするよう、丹念に下拵えをした。そう、恵の判断を後押しした『今はちょうど妊娠しにくい時期』である事も、事前に恵の家から出されるゴミ袋を漁り、恵の生理周期を割り出していた男の計算によるものだった。
恵が苦悩の末にその台詞を口にする事は、男にとって予定されたものでしかなかった。
“さあ、その決断がどんな結果をもたらすのか、自分の身体で知るがいい。”
男は恵の髪を掴み乱暴に上向かせると、閉じる力もなく半開きになった恵の唇に、己の唇をそっと重ねた。
てっきりまた口内を蹂躙されると思っていた恵は、その行為に驚いた。それは、恋人同士のような、優しさに溢れたキスだった。
唇が触れていたのも数瞬、男は舌を入れることなく顔を離した。
頭を掴んでいた手を離し、恵を仰向けにする。
男は、恵の腕が辛くないように枕代わりのクッションを尻の下に入れた。軽く腰が持ち上がり、自ずと両膝が軽く曲がる。
恵の両足が男の手によって開かれる。その間に位置する男。
挿入されると思い目を閉じた恵を、予想外の感覚が襲った。
男は恵の股の間でうつ伏せになり、無防備な陰部を舐め上げたのだ。
「アッ…」
不意の刺激に反射的に声が漏れた。
いくら前日にタオルで拭いたとはいえ、石鹸で洗ったわけではない。何日も風呂に入っていない身体はきっと臭うだろう。ましてや陰部は…。
昨日の清拭以上に恥ずかしさを感じる恵だったが、それ以上に、男の行為の意外性に驚いていた。
過去11回もの陵辱において、愛撫らしいものは一度もされていない。クンニどころかペッティングすらない。当然今回もそうだろうと思っていた。レイプなのだから当たり前だが、男は自分さえ気持ち良ければいいのだろうと。
そんな恵の先入観を覆すように、男は恵のクリトリスを舌先でそっとつついた。
「!」
今度は何とか声を出さずに済んだが、恵にとってこれは大変恐ろしい状況だった。『レイプされて感じてしまう』事などあってはならないのだ。絶対に。
「どんなシチュエーションだろうと犯してしまえば女は感じるものだ」というのは、馬鹿な男どもの願望混じりの妄想でしかない。
女性は、たとえ和姦だとしても、精神的にその気にならなければ肉体的刺激を『快』としては受け取らない生き物だ。逆に、気分さえ高揚していれば、キス一つで大きな性的快感を得る事もある。
妊娠と出産に1年。その後何年もかけて子を育てる人間の女性が一生のうちで子を産める機会は、多くて数回しかない。当然、共に子を成す男の選別は極めて厳格だ。できるだけ多くのメスと交尾して遺伝子を残そうとするオスと異なり、見た目の美醜だけで相手を選んだりしないし、肉体的刺激だけで性的興奮を得たりはしない。
レイプされて女が喜ぶことなど実際は有り得ないことなのだ。
男はその事を分かっていた。だから、ここに至るまでに数々の布石を打っている。
まずは、性的対象として汚らしい浮浪者をあてがい、生理的嫌悪感を抱く対象を自分以外にすり替えた。単純に比較の問題なのだが、恵はまんまとひっかかった。「マイナス100」より「マイナス10」の方がマシと思わせたのだ。
次に、何日もかけてフェラや飲尿をさせることで、性的接触に慣れさせた。事実、恵はもう、男の陰茎に触ることに抵抗を感じてはいない。
さらに、何日も風呂に入らせず、小便を垂れさせたりすることで、恵に「私は汚い」というイメージを植え付け、男の手で清拭を行うことにより、そのイメージをより大きくした。皿やシーツなど、過剰なくらいに清潔にこだわって見せたのもそれを狙ってのことだ。そしてこれも比較の問題だが、人は自分より清潔なものを「汚い」とは感じられない。結果、恵は男に「汚い」という印象を持てないでいる。
カウントを稼ぐために男との性的接触を待ち望むように仕向けたのも、この時を想定してのものだった。
そして最後に、恵自身に「セックスして下さい」と言わせたことで、恵の『男との性行為を精神的に拒絶する力』は大きく減殺されていた。
結果、恵は自分でも理由が分からないまま、陰部から立ち上る快刺激をそうと感じないよう耐えなければならなかった。
“そんなはずない。気持ちいいなんてあるはずない。”
この男は、殺したいくらいに憎い男だ。私を誘拐して犯し、幸せな日常を壊した張本人だ。目の前で人を殺した殺人者で異常者だ。おしっこを飲ませたりする狂った変態だ。そんな奴を相手に感じたりするはずない。
心の最後の砦を守るため、恵は必死に男を蔑もうとした。
しかし、その必死さこそが、自らの敗北を暗示していることに恵は気づかない。否定こそ存在の証明であることに…。