4.無知の罪、知の虚空-1
4.無知の罪、知の虚空
コーヒーショップは平日昼間とはいえ満席に近かった。繁華街という場所柄、休憩や商談に使っているサラリーマンが主だったが、隅に一人座る美しい女へ、必ず入ってくる客は必ず一瞥をくれていた。
白いブラウスにピンクのストールを羽織り、綺麗な髪をサイドアップにまとめて頬杖をついている。カウンターチェアに揃えて伸ばしたスキニージーンズの脚は、細身のスウェードのニーハイブーツによって、その長さが更に強調されていた。並の女なら田舎臭く堕してしまうスタイルだが、見事に洗練されて見えるのは、そもそもの素材の良さからくる所が大きい。大きなサングラスに隠れて目元は伺えないが、鼻筋や顎のラインだけでも相当の美貌であることが分かった。
悠花は周囲に自分の素性を知れるのを恐れ、極力気配を消すようにして、時折入り口に目を向けたり、スマホの画面へ視線を落としたりしていた。電話を切って以降、メールは来着していない。
男が待ち合わせに指定してきたのは、悠花がJ女学院の制服を脱ぎ替えたショッピングモールにほど近いコーヒーショップだった。あの時――中学の時に来て以来、上野は仕事でもプライベートでも訪れていなかったが、街の猥雑な趣きは当時と変わらない印象だった。
電話を切ると、悠花は寝不足と疲労、そしてショックに対する防衛機制が働いたのかもしれない、ラグの上にへたり込んだまま眠りに落ちてしまった。ハッと気づくと、外はもう完全に明るくなっていた。男に指定された時間を寝過ごしてしまったかと焦って時計を確認したが、余裕は残されていた。メイクを落とし、シャワーを浴びてから準備しても充分間に合う。
髪を乾かしながら、クローゼットの中から服装を選んだ。一度眠っても、男の要求、「今日会いにいく目的」は、むろん頭から離れていない。だがバゼットとデートする時のような、飾った服装をするのも癪だったし、気持ち悪い脅迫者の前に肌の露出があるスタイルをする気にもなれない。特にパンツスタイルは必須だと思っていた。
しかしモデルとして、そうそう野暮ったい姿で外出するのも、プライドが許さなかった。様々な検討を繰り返した結果、センスを失わないようにしつつも最後にストールを羽織ったのは、体のラインを隠し、おそらく淫猥極まりないだろう相手の視線を少しでも避けようとしたためだ。
約束の時間は15分近く過ぎていた。苛立ちを覚えながら、昨日のメールのやりとりを読み返し、また、電話での会話を思い出していた。
何故こんなことになってしまったのだろう。
何故今自分はこうして、相手を待っているのだろう。
思い返すにつけ、そのような部外者的な視点で、今の状況を省察してみたくなる。どう足掻いたって自分は当事者であるし、そんな思索は単なる現実逃避だということはよくわかっていた。だが、こうして不安と苛立ちを抱えながら、思わず意識してしまう周囲の視線の中で待っていると、思考がおかしくなってくる。
「……は、は、悠花……、ちゃん」
物思いに耽りすぎていたところへ突然声をかけられ、驚いて肩が跳ねてしまった。
視線を向けた先に立っていたのは――
(うわ……)
声や喋り方から十分想像できたはずだが、それでも一縷の望みを持っていたのに、完全に打ち砕くほどの、想像通り、いや、それを上回ってくるほどの冴えない男だった。
「えっと――」
そういえば名前を聞いていなかった。
「と、と、隣、座っていい?」
「そんなことより先に出ようよ、ここ」
あまり周囲に人がいて欲しくない。瀬尾悠花がこんな男と二人でいるのが、周りにバレてしまうのも嫌だったから、早々にコーヒーショップを出たかった。
しかし、男は申し出を無視して悠花の隣に肩を並べて座ってきた。反射的に、椅子の上で体を男とは反対側にズラし、距離を置いた。