3.滑落-11
村本は悠花が並べる防御の駒の一角が崩れているのを感じ取っていた。そしてこちらには、万能で強力な駒がある。
「言ったじゃないか。お金には興味ない、ってね。……意外だなぁ、悠花ちゃんの口からそんな言葉を聞くなんて。お金で何でも解決できる、ってこと?」
下半身の状態にもかかわらず、吃りが軽くなってきていた。
駒は駒でしかない。どこにでも打てばいいものではない。布石、罠、そういったカラクリを盤の上で敷いた上で、最大の効果を発揮する場所に打たなければ意味がない。
「そういうわけじゃないけど――」
「言ってるじゃないか。俺にとっては、お金より価値があるもの……、書いたでしょ」
「書いてたけど、あのね……」
「悠花ちゃんのその麗しいカラダ……。何でもお金で解決できるなら、悠花ちゃんのそのカラダも、お金で買えるってことかな? もしお金で買えるなら、どれだけ借金してもいい」
「……」
「違うでしょ? 悠花ちゃんのそのカラダを……、思う存分、自由にできるチケットは、この写真だということさ。169cm、88・58・83。それだけスレンダーで、顔もちっちゃくて8等身、脚も超キレイ。しかも……、Fカップ。……ねぇ、プロフのとおり、本当にFあるのかなぁ? その、オッパ――」
流暢に自分の公称プロフィールを諳んじられて、寒気がした。
「やめて。……、ほんっ、と、キモいから」
崩れてきている。村本は受話器を離し、時計を見た後、
「10分だけ時間をあげる。答えを出してね」
「あ、ちょ――」
電話を切った。
悠花はタイムリミットを切られることで崩れていく。実際、督促メールを送ると、大事な彼氏とのデートをキャンセルしてまで連絡を取ってきた。事が事だけに、10分やそこらで結論を導くことはできないだろう。あまり追い込むと、他者を頼ったり失踪や自殺を考える可能性が無いわけではない。しかし、そうならないようにギリギリを攻めているつもりだし、何と言ってもここまでの交渉において、丁半博打は必ず勝っていた。ツキも味方しているのだ。
(何なのコイツ!)
悠花はスピーカーから聞こえる切断音に絶句して、スマホを投げ捨てそうになった。昨日から一日がかりで脅迫されつづけている疲労がどっと出る。
10分で考えろ、と言われても答えなど出るべくもない。受け取ったメールを読み返してみる。
『俺が思う存分、満足するまで、瀬尾悠花ちゃんの、人気モデル瀬尾悠花ちゃんの、理想の美貌をした悠花ちゃんの、グラビアで見せてくれたバツグンのスタイルの悠花ちゃんの、【その体を、俺の自由にさせてほしい】』……。
悠花ちゃん、悠花ちゃんと繰り返しているあたり、男の粘着性がひしひしと感じ取れて身震いがした。こんな男に体を預けたら何が起こるか知れたものではない。
しかし、悠花の心の奥底から一つの思いが湧いた――
(一度だけ、相手してやれば、この苦痛から解放される……?)
巻き起こってきた弱気にハッとなって、慌てて押し込めようとした。しかし一度油断してそのような考えが起こってしまうと、心の隙を完全に埋めることができなくなった。
7分経った。あと3分しか無い……、と思うといきなりスマホが鳴った。
(……!)
驚いて画面を見ると、あの男の番号だった。深呼吸して再び、「強気な悠花」のスイッチを入れる。
「――もしもし」
「……やあ悠花、ちゃん。決心はできたかい?」
「ちょっと、かけてくるのが早くない? まだあと3分あるんだけど」
村本は悠花の反応を確認して、しめた、と思った。イエスの答えが出かかっているようだ。もしノーに傾いていれば、「イヤだ」という答えが真っ先に出てくるはずだ。だが一番に口をとついて出たのはタイムリミットを前倒しされたことに対する非難。悠花の中で、もうこの要求からは逃れられないのではないか、という思いに支配されかかっているに他ならない。