3.滑落-10
吃りが甚だしいことは自分でもわかった。落ち着け――。村本は、最大の正念場を迎えている中、リアルの瀬尾悠花と話すことになって、緊張と興奮でおかしくなりそうな自分を何とか宥めようとしていた。メールのやり取りとは違い、電話での交渉は即断即決が必要だ。言葉選びをじっくりやる時間はない。
(まさか……、仲間がいるの?)
すでに、他人にバラしてしまったのだろうか? 悠花は混乱していた。カラオケボックスで手淫を要求した男とばかり考えていたから、電話の相手が別の男だという事実と、これまでの経緯を論理的に結びつけることができなかった。
「とにかく、あの写真は消してよ」
村本は渇いて貼り付く喉元を、唾液を飲み込んで潤してから、
「は、はは……」
笑いがどうしてもわざとらしくなった。「メ、メールにちゃんと書いたでしょ? 条件」
「見たけど。あんなのありえないから。だいたい、あんたが誰かに言ってない、っていう証拠なんかある?」
普段あまりこういった口のきき方はしない。10代の頃からファッション業界に身を置いているのだ。仕事である以上、撮影スタッフ、雑誌編集、スポンサーの担当者や広告代理店の営業、様々な人と付き合っていく。礼儀というものをきちんと弁えなければ到底やっていけるものではない。
悠花はいつも、カメラマンから提示されるイメージを自分の中で具体化し、それを演じることで撮影をこなしてきた。モデル出身の女優が多いのも、モデル時代から「演技」に慣れているからである。悠花の中では、今の自分は「卑劣で気色悪いオタク男の脅迫に、全く怯んでいない勝ち気な女」だった。もともと勝ち気がまさっている性格だから、あとは話し方を強くすることさえできれば、役の創り上げは容易かった。
「ま、まさか、誰にも言うわけないよ。お、俺の大事な悠花ちゃんのヒミツ」
「別にヒミツじゃないし? 勘違いしてんじゃない? 私何もしてないから」
「な、何もしてない……、とはいっても、お友達がシ、シ、シ……、シコシコ、してあげてるところを、み、見守ってあげてたじゃない」
「キモッ……」
相手を見下した勝ち気な女を演じているとはいえ、最後の言葉は本音だった。ただ、話し声を聞いていると、本当にあのカラオケボックスの男ではないらしいことが確信へと変わった。
「だいたい、あんな写真、何で持ってるのよ。あんた関係無いでしょ」
「関係なく、ないよ。……何度も、言わせないでよ。お、俺は悠花ちゃんの大ファンなんだから、悠花ちゃんのピンチは、気が気でないからね……」
「何なの、あんた」
悠花は一度目を閉じ、意を決したように、「あったま、おかしいんじゃない?」
心を抑えつつ、冷淡な演技をすることができた。
「……しゅっ……、ふぅ……」
暴言を吐いたはずなのに、またスピーカーから吐息音が聞こえてきて、瞬間耳とスマホの間の距離を開けてしまった。
頭おかしいんじゃない? 悠花があの美貌で、こちらを睨みつけながら蔑みの視線でそう言ったかと想像すると、村本のブリーフの中で先端が何度も弾むように蠢き、爆発してしまったのではないかという勢いで先走りの粘液がブリーフを汚した。
「……ま、まぁ、何にせよ……。あ、あの写真が公になったら、マ、マズいでしょ?」
「それは――、……、……そうね」
はっきり聞かれると、その通りだ。
(詰めろ、だ……)
村本は一人で過ごすことが多かった時に、少し傾倒した将棋を思い出した。下半身は悠花の薫声に酔いながら、上半身はそんなことが思えるほど冷静である自分に驚いていた。
「はっきり、メールに書いたでしょ? しゃ、写真の交換条件」
「見たけどね。だから絶対無い、って言ってるでしょ? しつこいんだけど」
しかし、少し間があった後に、「……お金でどうにかならない?」