ブッディマータ博士-1
そこは病院のような所だった。奇妙な形のベッドに頭の大きな痩せた人が寝ている。よく見ると大人の女性だった。
「あなたたちは誰? ここは関係者以外は誰も入って来られない筈なのに」
サンドはパクシーと一緒に立っていた。パクシーは何が起きたか分からずに戸惑っていたが、少なくても自分が危機を脱したことだけは理解していたようだ。
「あのう、僕はここにいる人が今よりも足が速くなるように願って。そうしたらここに来ました。
きっとここは僕達が住んでいた世界よりも未来の世界なんですね、きっと」
サンドの問いにその女性は大きく頷いた。その理解力の速さは驚異的だった。
「あなたたちは時の旅人ね。どうしてその女性がもっと足が速くなる必要があるの?」
「それはこの人は半日以内に元の世界に戻されてしまうからです。元の世界では男の人たちに捕まって酷い目に合わされるからです。
だから、逃げ出すことができるようにもっと足が速くなる必要があるのです」
その女性はにっこりと笑ってまた頷いた。
「坊やが時の旅人なのね。そしてその子が男達に暴行されそうになったところをここに連れて来た。そういうことね。だから半日以内にその子が元の世界に引き戻されても乱暴されないような体にしたいということなのね」
「あなたは僕の言いたいことをすぐ分かってしまう。そうなんです。どうにかなりますか」
「私は筋肉がなくなる病気にかかっている、科学者よ。ブッディマータ博士です。自分でその病気を治す装置を開発したの。
でも、普通の人にこれとは別の装置を使ったら、筋肉の質が変って異常な筋力が身につくわ。だからそれを人間兵器に利用しようとする政治家や軍人たちがいるので、秘密を厳重にしていたんだけれど……」
ブッディマータ博士は体を横たえたままのパクシーの方を見た。
「その服装を見るとガンダ共和国が成立する革命前から来たのね。あなたはその頃ダリットと呼ばれた不可触民の方ね。
肩の所の衣服が破けているから、本当に危ないところだったみたい。サンパーントと呼ばれるエリートの階級の男達があなたたちを動物扱いにしていた。本当に酷い話だわ。
彼らはあなたたちダリットのことをアチュートと呼んで蔑んで来た。本当に許せないことだと思う。
あなたたちダリットの娘たちはサンパーントの若者たちに襲われても訴えることができない。それどころかタップレアの祭りでは強制的に16才のダリットの娘を戸外に締め出すように命令して、大勢で娘達を狩ってレイプするという悪習があったそうね。
でも、あなたがもし今よりもずっと力がついたとしてもその男達を傷つけないと約束できる? これは大切なことよ。歴史を変えることになるから」
「マルティ、約束できるよね。ただ逃げるだけだって。夜の間逃げることができれば、もう安全なんだから」
「マルティ? 私はパクシーって言われることはあるけど、マルティじゃない」
初めて口を利いたパクシーは、自分はマルティじゃないと言ったのでサンダは驚いた。
「だって、両耳にホクロがあるし顔もマルティお婆ちゃんにそっくりだよ」
そのときブッディマータ博士は声を立てて笑った。
「サンダ君、その頃のダリットの人たちには名前さえなかったのよ。でも、その人にパクシーという呼び名があったのは、たぶんすばしこいからでしょう?それとも綺麗だったからかしら。パクシーって『鳥』という意味だからね。
恐らくそのパクシーさんのいた時代から数年後に革命が起こったの。そして身分制度が解体されて、ダリットの人たちも定住地から移動することを許された。そして名前を持つこともできたのよ。
だから今のパクシーさんにマルティと呼んでもわからないのは当然よ。マルティというのは革命後についた名前だと思うもの。
ところでパクシーさん、さっきの私の質問だけれど、約束できますか」
パクシーはこっくりと頷いた。それを見てブッディマータ博士は手元のリモコンのようなものを動かした。