1.過去は消えない-6
有無を言わさぬ勢いで男は立ち上がった。背はそれほど高くないのに、明らかに体重は三桁いってそうな醜い体をゆすりながら外へ出ようとして、梨乃のほうを振り返った。
「ほら早くしろよ」
「……うっせーし」
つぶやく梨乃と一緒に店を出る。歩いてさほどかからないカラオケ屋で受付を済ませると、醜悪男と女子高生二人の組み合わせに周囲の客は怪訝な目を向けているのに、カラオケ屋の店員だけは意に介していない。しかし悠花は、その不自然さに全く気づかなかった。
男はカギ型に設置されたソファに巨体を下ろし、足を開いて座った。チノパンがパンパンになるほどの太い足で、そのような横柄な恰好をしているのは醜悪を通り過ぎて滑稽ですらあった。もちろん二人とも男の隣には座りたくないから、斜め座にもう一方のソファに腰かけた。
「……で? 何歌うの?」
梨乃は選曲リストとリモコンを膝の上に置いて、イライラとページをめくった。
「ああ。……んー」
「ちょ、早くして欲しいんだけど?」
「てか、歌なんかどうでもいいんだよ。……ぶっちゃけさぁ、マキちゃんはFいくらなの?」
「F……?」
部屋が案外狭くて男の巨体だけで圧迫感があるほどだったが、初めてのカラオケボックスで、機材を物珍しく見ていた悠花は、急に言われてキョトンとした。
「そ。FだよF。他でもやってんだろ? どうせ。J女だからっつてもさ。あんなとこに出入りしてんだから」
男は背もたれに手をかけ、短くて太い脚で貧乏ゆすりをしている。醜い装をしているくせに横柄な態度。どうせ私生活ではウダツが上がらず、ずっと年下の見ず知らずの女の子相手に金をチラつかせなければできないのだろう。
梨乃のアドバイスが無くても、こんな男に上位から話されると苛立ってくる。
「は? オジサン何言ってんの?」
「……あ? 勿体ぶってんじゃねーよ」
そこへドリンクを運んできた店員が入ってくる。極力つまらなさそうな態度をしよう、と悠花は長く綺麗な脚を組み、スカートから露出した膝頭の肌に男の視線が絡みつくのに耐えながら、長い睫毛のせいで余計に冷淡に見える表情を作ってみせた。
「いや、意味わかんないし」
店員が出ていってすぐ、アイスストレートティーを一口飲んだ。声が霞れないようにして、一層突っ慳貪とした物言いで、男を見ずに壁に据えられたモニタの映像を見て答える。
「そういう子ばっかじゃねーし。強制するとか、ハズくない?」
梨乃が店員が置いていったスナック菓子を音を立てて食べながら言った。男が何を要求しているのか耳打ちで梨乃に聞きたいが、こうもずっと男に舐め回すように見られていては、それも難しかった。
「強制とかじゃねえよ。いくら積んだらしてくれんの? って聞いてるんだよ」
──こうなったら男から直接聞き出そう。
「いや、だから何言ってるのかホント分かんないんだけど。Fとか何とか、遠回しに言われてもね」
ムキになってくれてもいいし、別にFとやらを諦めてくれても痛くも痒くも無い。
「だから、フェラだよフェラ」
男は梨乃のほうを一瞥して、「リカはしゃぶるのはNGだったけど、手コキは3万だったよな。それと同じ値段でいいの?」
言っている意味は即座に理解できた。だが、その悍ましさ、そして梨乃があれだけ危なくないと繰り返していたのに、結局そのような汚らわしいことをしていた事実がショックで、黙ったまま、心の乱れによって生意気な女子高生然とした姿を崩さないようにするのが精一杯だった。