プロローグ-1
プロローグ
カメラマンのシャッターに合わせて体の向きを変え、静止を繰り返すのは神経を使う。ファッションモデルは単にポージングを決めるだけではなく、カメラマンがリクエストするイメージに、表情だけでなく指先の角度や目線といった細部にまで気を配って、意図的に合わせていくことが求められる。
悠花は毎日のように撮影の仕事をこなしながらも、このままモデル一本でやっていくことに迷いがあった。自分と同世代のモデルが数多くいるのに対し、30代、ましてや40代以上ともなると、モデル業だけで身を立てている者は数が限られている。大半のトップモデルは、どこかのタイミングで女優やタレントに転向する、あるいは自ブランドを立ち上げて実業家となる、など、何かしらのキャリアチェンジをするものだ。悠花としては、人並み外れたルックスの持ち主としての自負がある以上、この華やかな世界に少しでも長く身を置いていたい、という気持ちがあった。
そんな悠花の思いを汲んだ──というより、美人モデルと言われる集団の中であっても、頭一つ抜けるような逸材を得て、これを超一流というランクまで育て上げたい、ビジネスチャンスに繋げたい、と言ったのほうがしっくりくるだろう──、従来モデルしか扱っていなかった所属事務所は大手出版社と組んで悠花のグラビア写真集を出版することを決めた。その事前プロモーションとして、今週その出版社が発売する週刊青年誌の巻頭グラビアを飾ったところだった。
ファッション誌の水着特集にて、その抜群のスタイルを披露したことはあったが、主役はあくまで水着の方だった。一方、雑誌グラビアというものは悠花自身が主役であり、今回水着姿こそはなかったが、薄手のサテン地のルームウェア姿で見せたしなやかな肢体や悩ましい胸元への反響は予想以上で、本丸である写真集では予定部数から増刷する調整が進められている。
グラビアアイドルというポジションに一時でも身を置くことに、悠花として抵抗を感じずにはいられなかった。口には出さないが、個人的にはグラビアという仕事は女として軽々しい印象が否めない。だが、これまでモデルから女優等に転身する中でグラビアを経る例は多くあり、そんな気持ちを押し込めて、自身のキャリアのため、と自分を納得させるしかなかった。
「はい、ごくろうさん。じゃ次のショットの前に、少し休憩入れようか」
カメラマンが手を止めた。今日は初冬のオススメスタイル特集の撮影だった。
ファッション誌の撮影は常に季節外れで、まだ肌寒い時期に野外で夏物の撮影をするなどは当たり前である。そういった撮影に比べると、今日はスタジオ撮影でもあるし、楽な方だった。
「お水飲んでいい?」
悠花と歳が近く、度々撮影で担当してもらって親しくしているメイクに聞いた。撮影中は、衣装はもちろんメイクに至るまで、すべて決められている。艶やかなグロスが落ちることを心配して、そのような許可を伺うのもモデルとしては常識だった。
ティーンモデルからスタートした悠花は、年齢を重ねるごとに自己努力や事務所のサポートだけでなく、イメージキャラクターを務めるエステ経営企業、美容関連商品の提供企業からの支援によっても、その美貌を磨いてきた。帰国子女らしく、我の強さが滲んだようなアイラインがのハッキリとした猫目が印象的な顔立ちは、デビュー当時から大人っぽいと言われていたが、相応の齢になるにつれ穏当な「キレイさ」に収まるだろうと目されていたその想像を、ゆうに上回るほど優美に成長していった。
しかし成人してからの悠花にとっての悩みどころは、まさにそこだった。悠花はモデルにしては「キレイすぎる」のだ。そんな悩みを言えば、世の中の殆どの人、特に同年代の女性から反感を買うだろう。ティーン誌専属モデルの時は「まだ10代なのに大人っぽい」という枕詞は武器になった。しかし二十代の読者層は、良くも悪くも「大人」となる。ファッション雑誌の読者は掲載されている衣装に対し、或る種の憧れを持ってページをめくるものだが、その衣装を身に纏うモデルが、自分にとってあまりにも手が届かないほどの美しさであると、どこかしら隔絶した世界のもののように見てしまい、ともすれば嫉妬まで催してしまうものなのだ。この読者層は、特にファッションにお金をかける世代となのだから、モデルという仕事にはアパレルのセールス面でも貢献する、という責務も求められる。