第七話 ブルーマウンテン国立公園-1
第七話
ブルーマウンテン国立公園
1.
「ここから、ブルーマウンテン国立公園の登りになります。標高は八百メートルほどで、高い山ではないけれど、手付かずの自然が残っていますよ」
先生の声が、気だるく耳に入ってくる。時計に目を移すと、シドニーのホテルを出てから一時間が経っていた。
先生は、レンタカーを借りてシドニー随一の景勝、ブルーマウンテンへ向かう高速道路を走って来た。
はるか彼方の地平線に、へばりつくように連なる山の峰峰。ブルーマウンテンを真正面に見据えて、延々と一直線に伸びる高速四号線を飛ばしてきた車が、ようやく山道に差し掛かった。
鬱蒼としたユーカリの茂みを縫うように、滑らかに舗装された道路が右に左に旋回して、エンジンの唸りがブルルーッと体に響いてくる。
師匠は胸にあふれる幸せを噛み締めながら、車の揺れに身を任せていた。昨夜の先生の交わりが、未だに余韻を引いて身体に燻っている。これから過ごす先生との道行きを思うと、股間の疼きが、じわじわと血管を通って身体の隅々に染み渡っていく。
「ちょっとわき道に入るからね。余り人の来ないところで、素晴らしいところがあるんだよ」
登り勾配が一段落して、平地になると、先生はそう言って街道を左にそれた。道幅は二台の車がようやくすれ違えるだけの細い簡易舗装路で、両脇の灌木が覆い茂っている。その奥を見通すことはできない。
十分ほど走ると、今度は右に曲がった。そこは一車線ぎりぎりの無舗装路で、普段は車の通行があるようには見えない。案の定、道幅が段々と狭くなって、遂に行き止まりになってしまった。そこには、引き返すためにやっとターンができるだけの、道幅がとってある。
「さあ、降りてみよう」
先生はそういうと、トランクからブランケットを出して小脇に抱え、ドアをロックした。ほんの十数メートルも歩くと、突然前方がパッと開けた。
足元は断崖絶壁、切り立つ下を覗くと、思わず足がゾクゾクする。
何百メートルあろうか。深い谷底には樹林が密生し、対岸の高台に続く。緑と緑の谷間から、真綿を引き伸ばしたような雲が湧き上がる。
「きれいねぇ、シドニーにこんなきれいな所があるなんて、想像していなかったわ」
師匠は、先生の腕に縋りながら、すっかり気を奪われたようだ。
「山も、谷も青い霞に覆われているでしょう。ユーカリの葉から立ち上る揮発分と、水蒸気のせいなんですよ。それでブルーマウンテンという名が付いたんです」
先生は断崖から少し離れた岩場の影の、下草の上に、ブランケットを広げた。
「師匠、ここに腰を下ろして休んだら・・」
師匠は、言われるままに、先生と並んで腰を下ろした。
ピィーッ
真っ赤な胴体に、青い翼と尾羽を太陽にきらめかせて、二羽の鳥が目の下を右から左へ飛びすぎる。
「あれはクリムスンっていう、オームの一種なんだ。とても仲が良くてねえ、いつも番いが一緒なんだ」
先生はそういうと、師匠の肩を引き寄せた。