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『誤算』
【歴史 その他小説】

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6:五月十九日、巳の刻-2

「……勝てる、勝てるぞ、出羽介!」
 血気に逸る若き頭領を、信盛は不安そうに見つめる。
「義元の本軍七千は、あそこに来ておるだきゃ? 旗を見ただけでにゃあだきゃ?」
「そ、それは……」
 そう言われれば、返答に困る。
 夜明けごろには確かに大軍が右往左往していたが、圧倒的に優位なはずの軍勢がなぜああも動き回っているのか、信盛には解せなかったのだ。
 実際には、あるかもしれない織田方の後詰めを牽制するために義元が大慌てて本軍を動かしていたのだが、後詰めを出すことを早々に諦めていた織田方にすれば余計な操兵にしか見えない。
(少にゃあ兵をぎょうさんに見せるため、敢えてああして動かしていた……? けんど、山の上には確かに、幟がぎょうさん立っとったがや)
 幟の下には兵がいる――それが戦国時代の常識だが、それを逆手にとって旗だけを立て回し、兵が多いように見せるというのも常識だ。実際いま、信長自身がそれをしようとしている。町民に竹竿を持って来させ、砦のあちこちに立てさせて、鳴海城を牽制しようというのだろう。
 今朝方の義元が同じことをしていたかもしれないし、していなかったかもしれない――確信を持てない信盛が言葉を詰まらせていると、信長は我が意を得たりとばかりに凶悪な笑みを浮かべた。
「義元の狙いは、あくまで沓掛からの善照寺砦攻め。じゃから本軍はまだ沓掛城から動いておらぬ! しかし、義元本人はこちらへ来ておる」
「わ、分かりますか?」
「おうともよ、分からいでかっ!」
 自信満々に胸を張る信長だが、確証があっての断言ではない。
 あくまで直感――というより、妄想だ。
(桶狭間に大けな城を造るのなら、自ら脚を運ぶに決まっとるがやっ!)
 もうそのことしか頭にない。
「勝てる、勝てる……いいや、勝つ! この戦、義元を討てば我らの勝ちじゃ!」
「そ、それはそうでしょうが……義元の居場所が分からにゃあことには……」
「そんなもの、決まっとるがやっ! 桶狭間じゃ!」
 叫ぶ信長の瞼の裏には、勝ち誇った義元が桶狭間村の瀬戸山に昇り、余裕の笑みを浮かべながら縄張りを検分している様子がありありと映し出されていた。扇を広げ、機嫌良さそうに謡いながら、挑発するよにひらひらと舞ってすらいる。
(そうか……やはりそうか! 城を造る気じゃな……あそこに城を造って、わしを攻め殺すつもりじゃな、義元っ! その戯けた舞いはなんじゃ? わしを殺す前祝いかッ!?)
 ――こうなるともう、単なる思い込みというより被害妄想だ。
 しかし、半刻と少しのち、現実の義元も桶狭間村の仮陣で戦勝を祝う接待を受け、機嫌よく謡い調子良く舞い始めるのだから、ひょっとしたら予知夢や千里眼のような超能力であったのかもしれない。


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