思い出したよ…。-2
恐怖と痛み。
苦しさと悲しさ、悔しさ。
あの時あたしが受けた痛み、傷み、絶望が、吐き気のする生暖かい血の味と共に幾度となく繰返し繰返し繰返し、あたしの体を襲って、
「いやああああああーーー!!」
いくら叫べど誰にも救われるはずもない悲鳴として喉から溢れだした。
思い出したよ。
きっとたった数時間前だ。
あたしは、麻里絵に恨みを持つ男に間違われて、散々暴行されて、ナイフで滅多刺しにされて死んだんだ。
本当なら、惨たらしく惨めに死ぬのはあたしじゃなく麻里絵だったのかもしれない。
『お前は予定外の死者、オレ達の仕事の用語で謂うところの『イレギュラー』だ』
ううん。
あたしがあのとき、麻里絵じゃなくて透を選んでたら。そうでなくても麻里絵が病院へ行く際に帰宅を選択していたらっと今日は、誰も死ぬ事がなかった。
或いは今日だけでなく。それが正解かもしれない。
(麻里絵の力になりたい。そう思って部屋に残ったあたしが悪かったってことなんだね…)
そう思うと目の前が真っ暗になって、体中が冷たくなっていくのを感じた……。
(透と、もう二度と会えないんだ…)
青縁メガネ、優しい笑顔。広くて心が休まる腕の中。
週末には、式の為のドレスを一緒に選ぼうって約束してたのに。
照れながらくれる優しくて暖かいキスも。
ベッドの中、心も体も甘く深く満たされる心地良い愛の営みも…。
もう、そんな満たされた幸せな繋がりは、永遠に味わう事は出来ないんだ…。
生きた最後に知らない男に体と心に刻まれた、激しい暴力とレイプを受けた。
痛みと罵声と恐怖を散々浴びながら、獣のように出し入れをされて心も体も汚されてボロボロにされて無惨に殺された。
これが、人間だったあたしの最後の記憶。
(消えたい…)
あたしの中で浮かんだ一言。これ以上も以下も思い浮かばない。
消えたい。
だって、あたしにはもう得るものなんて何もないじゃん。
寒い…。
体の底から寒さが滲んで、体中に広がってく。
消えたい…。
ナンデ?
ナンデ、アタシガ?
アタシガ ナニヲ シタノ?
『オマエハ、ナニモワルクナイ。ワルイノハ
オマエイガイノ、スベテダヨ』
「やれやれ…刀鬼、やっとお出ましだよ?」
「ああ…三神に取り憑いて、めんどくせーイレギュラーを起こしやがった根源…『怨女』のあやかし」
『オマエノ、シアワセヲウバッタスベテヲ、スイツクセ、シボリトレ、ノロエ、ノロエ、ノロエ』
頭の中に響く声に呼応するように激しく打ち付ける鼓動で、体が跳ねる感覚に襲われた。
「人の魂の深くに寄生し、取り憑いた人間が幸福に満ちた時を選び、不条理を呼び、凄惨な苦しみを与え、自らの餌にし現世で宿主の体をぶっ壊した挙げ句に、魂までもを鬼に変える…。魂の随まで貪る、全くゲスとしか言い様のないあやかしだな…」
「本当に厄介なモノに取り憑かれちゃって…辛かったね、環ちゃん」
「取り憑きを見逃してイレギュラーを起こした現世管理のバカ長の罪も、相当デカイぞ…」
「うん。環ちゃんが持ってた残り寿命あと45年を考えたら、間違いなく降格、地獄へ左遷だねぇ…」
誰かの話し声…。何処かで聞いた声のような…。
『ノロエ、コロセ』
アアッ!!! クルシイ!
『ウバワレタ、ウラミヲ、ハラセ』
クルシイ、クヤシイ!
『ノロエ…、コロセ…』
ユルセナイ…、アタシカラ、アタシヲウバッタスベテガ……
『オニトナリ、スベテヲ、ノロイ、ウラミ、クイコロシテシマエ』
「ユルサナ…イ…、ゼッタイ…、ミンナ…アタシガ…コワス。 クイコロシテヤル!!」
胸の中、凍てつくような蒼い焔が灯る。
制御の効かない禍々しい力が、あたしの中に広がって、ゆっくりとあたしの姿を別の何かへと変えていく。
寒い。
体が…心が渇く。
渇きを止める術はきっと……。
「ノロウ、コロス。シボリトッテ、クイコロシテヤル…」
霞む目に映る。強い力が溢れる二つの男。
「オイシソウ…」
呟いたら、笑みが漏れた。
そんなあたしに、
「上等だ。喰えるもんなら喰ってみろ」
紅い目を光らせた黒い髪の男が、あたしを見下ろして、口角を歪めた。