記憶の開錠-1
見えない力に縛られた体がベッドへと下ろされて、ほんの一瞬だけ、解放されたかと安堵しかけた矢先に、
「残念だが解放はまだだ」
力の抜け切ったあたしの上半身が抱き起こされて持ち上がり、
「いいか、よく聞け、三神環。お前は元々今日死ぬ予定じゃなかった」
刀鬼の声が、耳を伝ってではなく、ぼんやりと霞んだあたしの頭の中に直接響いた。
「お前は予定外の死者、オレ達の仕事の用語で謂うところの『イレギュラー』だ」
(オレ達の…仕事…?)
声を発する気力もなく、頭の中で疑問の思いを浮かべると、それがテレパシーのように刀鬼に通じているのか、
「オレ達の仕事は、現世を離れた正常な死者の魂塊を集めて三途の川の船頭に引き渡す、謂わば、二つの世の境目の管理人みたいなもんだ」
(管理…人…?)
「オレ達の業務の総称は、俗に謂うところの死神ってやつだ」
(ああ…死神…ちょっと納得)
ぼんやりと刀鬼を見つめて、あたしはなんだか妙に府に落ちて笑みを浮かべてしまった。
少し長めの黒髪の前髪から覗く、冷たさを纏う紅い瞳。黒装束とはちょっといい辛いけど、黒いモッズコートに細身のパンツと、全身黒ずくめ。
(ねえ、イレギュラーってなに?)
頭の中で尋ねると、
「お前のようにこちらが決めた寿命から想定外に外れて、この境目に上ってきた死者の魂を、オレ達はイレギュラーと呼んでる」
刀鬼の説明によると、人間には生まれ持った寿命が決まっていて、死者の数が日毎に管理されて、三途の川を渡るらしく、あたしのように想定外に死んでしまった人間の魂は、船頭には引き渡す事が出来ないらしい。
「イレギュラーは、肉体が残っていれば現世に還す事が可能だが、お前のように肉体を失い還す場所がない状態の魂塊は、川を渡る事も現世に戻る事も出来ずに、生にも死にも属せない生き霊となりさ迷い、末は飢えた魂塊共のエサになって消滅するか、さ迷う過程で悪鬼になり下がり、オレ達が始末するか。どちらにせよ、消滅の道を辿る事になる」
刀鬼の口から淡々と告げられた言葉に、あたしは曖昧に笑うしかなかった。
魂塊が消滅したら、もう転生は不可。来世はないんだって。
かといって、還る体もないわけで。
(ねえ刀鬼、あたしはなんでイレギュラーになっちゃったの?)
人間の時の記憶が全くないのは悲しい。
自分の名前が三神環(みかみ たまき)だって事さえ、結月や刀鬼に名前を呼ばれなければ知ることが出来なかった。
(あたしは、どう生きてた?)
「これから、お前の現世で生きた記憶を開錠する。だが、記憶の開錠はハッキリいって、至極危険だ」
記憶の開錠。
それは、痛みと苦しみの開錠に等しく、精神のみで辛うじて形成されてる魂塊を激しく損傷させる危険があるんだって。
「死の記憶に耐えうる力がなければ、お前は消えるし、死の憎しみに飲まれれば、鬼に成り下がり…」
あたしは、結月と刀鬼に滅される。
(ははっ…結局、あたしは滅ぶ身ってわけね?)
記憶を得て滅ぶか、なにも知らないままさ迷い滅ぶか…。
とんだ末路を知ったあたしはもう、笑うしかないじゃん。
「いや、末路は同じじゃない。記憶の開錠をし、死の記憶に耐えうる事が出来たら、新しいひとつの道が開ける」
(…新しい…道?)
「その道が開けたら、お前は滅びずにお前で要られる術を得る事が出来る。ただ、その望みは極めて希薄だがな」
(希薄…でも、ゼロではないんだ?)
私の問いかけに、刀鬼はあたしを真っ直ぐ見つめて、ひとつ、しっかりと頷いた。
(わかったよ…。記憶の開錠を受け入れるよ)
どのみち滅ぶなら、自分が誰なのか、どんな生き方をして、どう死んだのか、知って消えたい。
決意したら、ふっと笑みが零れてしまった。
「大丈夫だ、結月の陵辱に耐えたお前なら、記憶に耐えられる。そんな気がする」
刀鬼はそう言って、冷たい表情を緩めて、微かに笑みを浮かべた。
先刻みた冷ややかな笑みではない、少しだけ優しい笑みを見て、胸の中に根拠のない安堵が広がった。
きっと大丈夫。
なんだかそう思えた。
「…で、その記憶の開錠はどうやるの?」
快楽に責められた体が少し回復して、声が戻ったあたしをベッドに横たえ、刀鬼は黒いモッズコートを脱ぎ、やや細身だけど均整のとれた綺麗な上半身を露にした。
「結月」
刀鬼が結月に視線を投げると、小さく笑って、結月もコートを脱いで、白く華奢な上半身を露にした。
「ね…ねえ…まさか…」
あたしは、嫌な予感がして、掠れ声を上ずらせてしまった。
「正解♪ そのまさかだよ♪ 記憶の開錠は、ボクらと激しく交わる事なんだよね。環ちゃん、がんばっ♪」
「う、嘘でしょ…?」
気狂いしそうなほどの先刻の結月の陵辱を思い出したら、顔がちょっとひきつったあたしに、
「大丈夫だよ。環ちゃんほどの淫乱っぷりなら、きっとね」
…なるほど、あたしは淫乱ね。否定はしないけど。
てか、こいつかわいいけどなんかムカつく。
結月にじと目を向けると、
「決心はついたか?」
刀鬼は、ベッドに横たわるあたしを見下ろし、一言たずねた。
「…変な力で縛るのはもう勘弁してね、あたし、不自由は嫌いだから」
本当は怖い。精一杯の強がりだ。
「悪鬼に成り下がらなければな」
そう告げて刀鬼はあたしを抱き抱え、審判の間へと向かう事を告げた。
そこで、あたしの記憶の開錠の儀式をするんだって。
闇に包まれる間際、刀鬼の瞳を見つめて、あたしは言い表しようのないゾクゾク感に包まれた。