ジークの一番災難な日-11
硬く瞑った眼の奥が熱くなって、頬を湿っぽい感触が流れた。口端から塩辛い味が流れこむ。なんだ、これ?
「……ジークお兄ちゃん」
ふわりと、後ろから何かが巻きついてきた。
驚いて目をあけると、短い金髪を逆立てた男が膝をついて……俺の本当の身体に、抱きしめられていた。
「マルセラ……? おい、なんでここにいるんだよ!?」
思わず怒鳴った声は、しゃくりあげるような泣き声だった。
「間違いを誤魔化して、もっと悪いことをするのは、やっぱり嫌だから……。ちゃんと謝って罰を受けるために来たの。……頑張ってくれたのに、ごめんなさい。」
少し目を細めてそう言った顔は、なかなか悪くなかった。俺は生まれて初めて、自分のツラが好きになれるかもしれないと思った。
「え? え? どういうことですの?」
俺とマルセラを交互に眺め、エレオノーラが驚愕の声をあげる。俺の身体をしたマルセラは立ち上がり、厳しい表情を浮べる女教師に頭を下げた。
「ホワン先生。私は東端魔法を使って失敗し、ジークお兄さんの身体と入れ替わってしまいました。だから、劇には出られません」
そして、ざわめくガキ達を見渡して、もう一度頭を下げる。
「皆にも迷惑をかけてしまいました。本当にごめんなさい」
女教師の他は、誰もがあっけにとられた表情を浮べていた。だが、いち早く我に返ったセイウチ男が、喜びを隠せない声音と表情で叫ぶ。
「と、とんでもない子だ! やはり……」
「失礼、少々お静かに願います」
女教師が至極冷静な声とともに、ハンドバックから取り出した漢字の紙札を、セイウチ男の口に貼る。ただのペラペラな紙札に見えるのに、札が触れた途端に、厚い唇は堅く閉じられてしまった。
「ぐっ!? むむっ!?」
ピタリと張り付いた札は、どうしても取れないようだ。
札を取ろうと苦戦しているセイウチ男を他所に、女教師が厳しい視線をマルセラに向ける。
「マルセラ。皆に迷惑をかけたというなら、最初からきちんと説明しなさい」
「はい……」
そしてマルセラは、劇の主役に選ばれたのが嬉しかったが、不安でたまらなかった事、ロッカーに入っていた手紙と香袋、俺と入れ替わった事、それを誤魔化そうとした事まで、全て正直に話した。
「なるほど……」
聞き終えると女教師は溜め息をつき、生徒たちを見渡した。
例のクラリッサとかいう眼鏡のガキが、ビクリと肩をすくめる。
「皆さんにお尋ねします。彼女のロッカーに、香袋を入れた覚えのある人は?」
誰も手をあげなかった。
女教師は少し待った後、無表情のまま、再度口を開いた。
「そうですか……ではクラリッサ、貴女はマルセラの代役を務めることが、できますか?」
俯いていたクラリッサが、弾かれたように顔を上げた。父親が口に札をくっつけたままウンウンと頷いている。
「は、はい……私、セリフも全部覚えて……」
嬉しそうに言った少女は、ふと俺の方へ視線を移した。とたんに表情を曇らせ、口ごもる。
「……っ」
眼鏡の奥の目が潤み、嗚咽とともに懺悔を吐き出した。
「……ごめんなさい。私が香袋を渡しました。あれが変な効果を出すのも知っていました。
……マルセラが羨ましくて……彼女が東魔法を使って叱られて、また学校にこれなくなれば良いと思ったんです」
―― ああ、やっぱりな。眼鏡ガキ、お前は嘘が下手すぎるんだから、もう一生つくな。
それにあのやり方じゃ、マルセラが香袋を誰に使うかも曖昧だし、使ってもお前の狙い通りにいくとも限らないだろ。
本気で狙ってこの程度なら、陰湿な罠を仕掛けるにも向いてねぇよ。