懐疑-5
突然、田倉に肩をたたかれ、「君の力を借りたい」と言われたときは心臓が止まるかと思った。もちろんおくびにも出さず、スマートな態度で対応することができた。デスクに向かってパソコンを操作していた佐伯は知っているらしく、振り返って笑みを見せていた。何か嫌な感じ。
今度は背中に悪寒を感じたので振り返ると、沼田がそっぽを向いた。やっぱり見てた。目をぐるっと回して、白目を見せてやった。
あれから沼田とは全く口を利いていないし、仕事の話さえしていない。いうまでもないが沼田が避けているからだ。目が合うと時々むくれているような顔をするのがむかつく。自分が悪いのに。他の社員とは上機嫌で話す姿も何かむかつく。進藤さんを罠にはめようとした人間なんかこちらから願い下げだけど。
どうして田倉に呼ばれたのだろう。沼田から離れられるのは大歓迎だが、とても不安だった。だだっ広い会議室で田倉と二人っきりになると、とたんに緊張した。
「これでコーヒーを頼みます。君も好きなものを」と言ってお金を手渡し、室内に設置してある飲み物の販売機を指差した。ここにはお金を入れる販売機しか置いていない。
「はい、ただいま」
田倉と対面して体が凝り固まっていたので、危うく右足と右手を同時に出して販売機に向かうところであった。ドンマイ。
「えー、部長は、お砂糖とミルクどうしますか?」
しまった、少し声が裏返った。
「わたしはブラックで」
「承知いたしました」
今度は完璧。
田倉の前ではどうしても慇懃な態度になってしまう。来期にも役員に上がるという噂があり、将来はトップに上り詰める人物だろうと、そこかしこで囁かれている。今は田倉とは二階級の差だが、まるで雲の上の存在である。小学校一年生と六年生ほどの差はあるだろう。
「コーヒーでも飲みながらリラックスして始めよう」
紙コップを口に運んでいるのはビデオの中で進藤さんを突き上げていた男だ。書類をめくる田倉の顔をちらちらと盗み見た。どこをどう見ても勝てる要素が見つからない。そりゃそうだろう、あの進藤さんをものにしたのだから。進藤さんと結婚した佐伯のことは考えまい。ドンマイ。
落ち込んでいたところに田倉と目が合った。正面から見据えられどきどきしながら「僕もブラックです」と胸を張って紙コップを掲げた。