気づかなかった想い-3
良平はのろのろとベッドから降りて、テーブル越しにリサと向かい合った。
「少しは気分、良くなりましたか? 部長」
「はい。貴女の持って来てくれた水とその笑顔のお陰で……」
「あ、そうそう」リサは自分のバッグから、ここに来るときに買ったチョコレートの箱を取り出した。「これ、食べて下さい」
「それは?」
「チョコレートです。お好きですか?」
「ああ、チョコレート。うん。好きです。なんだかバレンタインデーみたいだ」良平は照れたように頬を赤らめ、頭を掻いて笑った。
子どものように無邪気な笑顔だとリサは思った。
リサは静かに話しはじめた。「あたし、辛いことがあると、このチョコレートを食べるんです」
「へえ、そうなんだ」
「そうすると、不思議と心が落ち着くんです」
「不思議と……」
「だから、こないだ失恋したときもこれを自分で買って、その日のうちに全部一人で食べました」リサは笑った。
「全部、一人で?」
「はい」リサは微笑みを絶やさず続けた。「効果抜群です。ずいぶん気が楽になりました。その時も」
「そうなんだね。試してみようかな、僕も」
良平はそう言いながら、受け取ったチョコレートアソートの包みを丁寧に広げた。そして箱を開けて、一粒の艶やかなチョコレートを口に入れた。
もぐもぐと口を動かしていた良平は、目を上げてリサを見た。そして微笑んだ。「ほんとだ」
「ね、効果有りでしょ? でも、それと同じ作用をすることがもう一つあるんです」
「同じ作用?」
「はい。私にとって」
「なんですか? それ」
「部長さんの笑顔です」
良平はびっくりしたように目を見開いた。
「失恋の痛手を癒してくれた、一番の薬は、部長さんの『元気出して』の言葉と笑顔」
「僕も……」良平はうつむいて小さな声で言った。「貴女の笑顔にはいつも癒されていた。今も……」
良平は静かに、抑揚を押さえた口調で呟き始めた。
「僕はね、恋人の沙恵が大好きだった。二年間つき合ってきて、この夏に結婚を決意した」
リサは部屋の隅に転がっていたジュエリーボックスの小箱を拾い上げた。リボンはほどけかけ、箱は無惨にひしゃげていた。
「沙恵も同じように僕を愛してくれていると思ってた。思い込んでた……」
リサは黙ってうなずいた。
「でも、彼女の心はもう違う男のモノになっていたんです」目元に滲んだ涙を恥ずかしげに左手の指で拭った良平は、残っていた焼酎の入ったグラスに手を掛けた。
「ずっと気づかなかった。僕はバカです……」
「昨夜、何があったんですか?」
「昨夜、ですか?」良平は顔を上げた。
「あ、いえ、話したくなければ、無理にとは……」
良平はふっと寂しげに笑った。「聞いて下さい、リサさん」
「昨日は沙恵の誕生日でした。僕は彼女にプロポーズしようと、その指輪を買って、渡すつもりでした。でも、昨夜は会議が予定されてたので、明後日の土曜日に行く、と沙恵には伝えてました」
リサは昨日の退勤時の、心から嬉しそうな良平の笑顔を思い出し、胸を痛めた。
「でも、会議が延期になったので、僕は彼女を驚かせようと、何も連絡せずに部屋を訪ねたんです。そしたら、圭輔と沙恵がハダカで絡み合ってました。合い鍵でこっそり侵入して、ドアの隙間から見てしまいました」
「え? 圭輔って、最近店を辞めたあの圭輔さん?」
「そうです。今思えば思い当たることがいっぱいあります。彼女の部屋にあった空き缶。たぶん吸い殻代わり。彼が店を辞めたのも、沙恵と同じコンビニで働くために違いありません。そして、これも沙恵のマンションの玄関に置いてあった空の焼酎瓶」
リサはテーブルに置かれた白い瓶に目をやった。
「沙恵が焼酎なんか飲むはずがない。その時、おかしいと思うべきでした」
「沙恵さんとは、また会ってお話されるおつもりですか?」リサは恐る恐る訊いた。
「もう話しました。電話で」
「え?」
「今朝……」