第6章 狂宴-9
私の気持ちとは裏腹に、またしても彼は思いもよらぬことを口にする。この状況で飲み物など、一体どういうつもりなのかしら。大仰な身ぶりで、手を打ち鳴らし合図を送ると、寄り添う桜井先生の腰に手を回し、階下の乱交騒ぎへ好奇の目を向ける。もしや私を捕えたことで慢心しているのなら、これは好機と捕えるべきね。なんとしてもボディガードの戒めから抜け出し、この場から逃げ出さねば。
だが、隣室から彼の言う召使いが姿を現した時、私は悲鳴じみた声をあげていた。
彼女もまた、九条に操られ下僕となり果てたのか。カクテルを載せたトレイを手に、大切な幼馴染みはゆっくりとした足取りで近づいてくる。しかし、私を心胆寒からしめたのは、伊集院薫がこの場に現れたことにではなかった。
「‥薫っ!?」
私の前に彼女は、一糸まとわぬ姿で現れたのだ。
カチャカチャと音を鳴らすグラスの向こうで、形の良い乳房が揺れ、両手がふさがっているせいもあってか、股間の繁みを隠そうともしない。しなやかな白い裸身をさらした薫に恥ずかしげな様子はなく、どこか陶然とした表情を浮かべている。
「‥直哉様、お飲み物をお持ちしました」
薫は私に目もくれず、九条の前で畏まると、淀みない口調でグラスを勧める。かつて会長の座をかけて争った二人は、今や主人と奴隷の立場にあった。男の好色な目にさらされても何ら反応を示さず、知恵の果実を食する前の、楽園のイブように佇んでいる。
「ああ、この女ですか。こいつは今罰を受けていましてな、服を着ることを許してないんですよ。そうだな、伊集院?」
グラスを手にした九条は、今初めて気づいたかのように、わざとらしい笑みを浮かべてみせる。その酷薄そうな表情は、冷たい蛇を思わせた。
「‥はい、わたくしは直哉様のお心に添えず、失態を犯した愚かな女です。然るべき罰を受けるのは当然ですわ」
完全に隷従して微笑む薫を、私はどのような目で見ていただろう。ただ目の前が真っ暗になる様なショックと、虚脱感に苛まれた。しかし、それはまだどん底ではなかった。真の絶望を覚えたのは、次の言葉を聞いた時だった。
「さぁ、紫織さんもいかがですか。お勧めですよ、このカクテル、パラダイス・ロストは」
一気に頭から血の気が引き、私は恐怖を覚えた。柔和な笑みを浮かべ、グラスを手に近づいてくる薫は、まさに恐怖そのもの。身動きできない私の口元にグラスを近づけてくるのを、首を振って必死に拒んだ。
「お願い、薫、目を覚まして!」
自分の声が、どうしようもなく震えるのを止めることはできなかった。冷静を保とうなど、無理な相談だった。
「ご安心ください、貴方をヤク中にするつもりはありません。ただ、今暴れられても困るので、少しばかり楽しい気分に浸っていて頂きたいだけですよ」