昔話-1
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ミカと龍は二人とも下着を身に着け直して横になり、ベッドで抱き合っていた。龍はミカの胸に顔を埋めていた。
「懐かしいね。おまえが赤ん坊の頃、こうしてあたしの胸に顔を埋めて眠ってたよ。かわいかったし、愛しかった」ミカは龍の頭をそっと撫でた。
「俺、幸せだよ。父さんにも母さんにもこんなに愛されて育ったんだから」
ミカは龍の頭に手を掛けて、自分の方に向けた。「龍、あたし、今初めておまえに打ち明けるんだけど、実はね、あたし最初はお前を産むつもりはなかったんだ」
「え?」
「いや、誤解しないでくれよ、子どもが嫌いだった、ってことじゃなくて、あたしケンジと二人だけでずっと暮らしていけるだけで満足してた。別に子どもなんて欲しくなかったんだ」
「そうなの?」
ミカは龍の背中に腕を回してぎゅっと抱きしめ、彼の耳元で小さく囁いた。「でもケンジが、どうしても欲しがったんだ」
龍も小さな声で言った。「なにか思うところがあったのかな……」
ミカは腕を解き、龍の目を見ながら言った。
「ケンジはさ、妹のマユミとの間にすでに一人、子どもをもうけてただろ?」
「ケン兄(健太郎)だね」
「そう。そのことで、あたしにかなり大きな負い目を持ってたらしいんだ」
「妻との間にできた子じゃないケン兄の存在が、ってこと?」
「ま、そんなトコだね。でもあたしは別に気にしてなかったし、健太郎もケネスとマユミのちゃんとした子だし、なんでケンジがそこまで拘るのか、理解できなかった」
「わかるような気がするな。父さん、やっぱり母さんとの愛し合いの証しが欲しかったんだよ。何度もセックスして、感じ合って、抱き合って幸せな気持ちになっても、夜が明ければ元通りだろ? 言い古された言葉だけどさ、夫婦である二人の愛の証しが欲しかったんじゃない?」
「そうだね。たぶんその通り。でさ、あたし、妊娠して、お腹がだんだん大きくなっていくにつれて、気持ちがどんどん変化していった。この子を守りたい、守らなきゃって」
「母親になっていった、ってことだね」
「あたし、独身の時は絶対自分はそうならない、っていう自信さえあったんだ。子どもを孕んでも、そんな気持ちになんかなりっこないってね。でも、やっぱりあたしも普通のオンナだったね」
「母さんがそんな気持ちにならなかったら、俺、虐待されて、今頃はこの世にいなかったかも」
「大げさだぞ」ミカは笑った。そして続けた。「だから生まれてすぐのサルみたいなおまえを見た瞬間、あたし涙が止まらなくなっちゃってさ、もう愛しくて、可愛くて、目の中だろうが口の中だろうが入れて歩きたいぐらいだった」
「ありがとう、母さん。俺、本当に幸せモノだ」龍は少し涙目になっていた。
「でもな、ケンジはおまえが生まれた日から俄然張り切りだしちゃって」
「何に?」
「おまえをあたしに独占させてたまるか、って」
「へえ」
「赤ん坊の食欲を満たすってことはあたしにしかできないから、それ以外のことを、とにかくやらせろ、やらせろ、ってもう、しつこいったらなかったよ」
「そんなに?」
「風呂はもちろん。おむつ替えも、寝かしつけも、沐浴も、おんぶして散歩も、検診も、予防接種も、もうありとあらゆる育児を彼はやってくれた」
「知らなかった。父さんがねえ……」龍は笑った。
「おかげであたしは楽だったけどね」ミカも笑った。「でも、彼にとってのライバルが突然出現した」
「え? ライバル?」
「そ。おまえの世話をしたがるやつが、もう一人出し抜けに現れたんだ。おまえが3つの頃だったかな」
「え? 誰?」
「なに? おまえ覚えてないのか?」
「覚えてるわけないよ。まだ3つだったんだろ?」
「真雪だよ、真雪」
「えっ?!」
「あの子はちっちゃいおまえの世話するのが大好きでな、もう、ほとんど弟扱いだったぞ。自覚なかったのか? おまえ」
「小学校に上がってからの記憶はある。確かに彼女はずっと俺の世話をしてくれてたよね。ちょっと鬱陶しくもあったけどさ」
「そんなこと言って。結局その真雪とつき合って、セックスしまくって、結婚して、子どもまで作っちまったじゃないか」
「そ、そうだね……」