どこにでもある ただ ちいさなおはなし1-22
涙で視界がぼやけるのをぐっと袖で拭って男は歩き始める。
ランプを拾い仕事場へ向かった。
もう戻って来れないかもしれない。
ならばせめて生活に困らないようにしてやりたかった。
寝ていた古道具屋を叩き起こし売れる物は全て売った。
大家には書き置きを残し鍵と共にポストに入れる。
膨らんだ鞄を持って外に出ると奇跡的に雪が止み空が見えている。
ランプの明かりがいらないほど明るく男はゆっくりと歩き始める。
家へ帰り鞄の中からありったけの金をテーブルに置く。
これでしばらくは困らないだろう。
胸ポケットから手紙をだす。
サラサラと側にあったガラスペンで文字を綴っていく。
まずは謝罪。そして古くから懇意にしている親友の連絡先と名前を。
知らぬ魔に涙がこぼれたようで髪には丸い後がいくつも付いた。
きっと奴なら助けてくれるだろう。
封筒に入れて金の横に置く。
あまり長居はできない。
どんどん姿が変わっているのだから。
そっと足音を忍ばせゆっくりと子供部屋へ向かう。
上着のフードを深くかぶり娘の顔を覗き込む。
大事なこの娘の親としての責任を今俺は放棄する。
「ごめんな」
そっと頭を撫でてやる、と娘は小さく呻いてうっすら目を開けた。
「うさぎさん……?」
またすぐに眠りに落ちる娘。俺は笑みを浮かべた。もうそんなに変わってしまっているのか。
夫婦の寝室はそっとドアを開けて覗くだけにした。
妻もぐっすりと眠っていてその姿を目にしっかりと焼き付けた。
空になった鞄に必要な物を詰め込む。地図、水筒、着替え。
食料も少し積めお金も持った。
パンパンになった鞄を肩から斜めに掛けると立ち上がりそっと玄関の外へ出た。
ロッキングチェアに座る。良く娘を膝に乗せてここから沈む夕日をみた。
パイプに火をつけ煙を吐く。
白い煙が空へ上っていく。
どうか娘と妻が幸せに暮らせますように。
男は柄にもなく星へ祈っていた。