蜘蛛娘 またぎの男・山犬 後編-1
さりとて人の世と、全く縁を切ることもできぬ。
男は時として、山のように荷を背負い、
私を連れて里に下りる。
獣の肉を燻した物や、毛皮を鞣したものと、
米、味噌、薬味などを替えた。
男は腕が立ったらしく、
肉や毛皮は仲買人に高額で取り引きされた。
そして男は然るべき場所に赴き、
私は小遣い銭を渡され、外で待たされた。
戻ると、男からは女の匂いがして、
私はえも言われぬ心持ちになった。
「どうした、女の匂いがするか。女はいいものだ。
お前も女だが、せいぜい尻の穴を弄る程度だからな。ははは」
そうしてまた山奥に戻る時、待ち伏せをくらう。
男の懐中に目を付けられ、狙われたのだ。
私は糸を飛ばし、
驚く来襲者達の頭上を越えて、藪に飛び込む。
男は枝払いの鉈を振るって、血みどろになって闘うが、
多勢に無勢。数が多すぎた。
男の懐にはそれだけの金子があったということだ。
男はかつて、武人だっただけあって奮戦するが、
それがかえって仇となり、無惨な死に様となる。
「ぐが、が」
「はあっ!はあっ!
やっと静かになったか!大暴れしやがって!」
「この野郎!弟を殺っちまいやがって!尻に棒杭を突っ込んでやる!」
「ぎゃあー!」
仲間が斃れて却って分け前が増えたと、遠ざかる無頼どもの声を聞く。
私は、死んだ男の尻の穴から突き出た棒杭を、爪先で押し込む。
男と袂を分かつ。
男は死に、私は生きながらえた。
感慨は無い。
それは人が持つべきものだ。
私は里に取って返し、女を襲った。
獣に比べれば人などのろい。
糸を投げ、脚を縺れさせ、
赦しを請い、泥だらけになって這い逃げる女に縋り付き、
薄い喉元を喰い破り、
初めて人の精を吸った。
人の精を吸う事を覚えると、獣の肉では物足りなくなる。
堪らなくなると里に下り、
女を絡め取り、夢中になって搾り取る。
人を喰えば其処には居られぬ。
親に追われ、子に追われ、連れ合いに追われる。
追われれば返り討ちにするしかない。
山に誘い込み、
足元に糸を張り、夢中になって迫る追手を転げさせ、
糸を飛ばして動きを封じる。
下手な罠など掻い潜る、獣などより余程容易い。
動けぬ追い手は、恨みの言葉を吐いて、同じ末路を辿る。
解ってくれば、山に於いて人など恐れるものではなかったのだ。
山に逃げ、獣を追い、また、見知らぬ里に下りる。
そのうちに、女に羞恥を与え、
程々に精を吸えば、追われることも無いことを独習する。
また、辱しめを受ける女の精は真に甘美である。
不思議なことに、人の精を吸うと、歳をとらない。
私は子供姿のまま、当ての無い旅を続けた。
(偶々人に拾われたが故に言葉を覚え、人の味を覚えてしまったのだ。
獣のままだったら、このように考えずとも生きられたのやもしれぬ。
人と獣の狭間の私はどうすれば良いのだ。
思い返せば、
男と獣を追っていた頃が仕合せだったのやもしれぬ。
如何に…如何に…)
おわり