(第一章)-4
「あの頃のあなたは、私の奴隷だった…。でも、ほんとうにあなたは私のものだったのかしら
…。私のものになりきることであなたは私に愛を感じようとしていた…」
「奴隷の私でないと物足りないということか…お互い様かもしれないな。舞子は、燿華という
女王様には戻れない…」
「そうかしら…ほんとうにそうなのかしら…私にはわからないわ…」
SMクラブで鞭を手にしていた頃の自分の微かな記憶をたぐり寄せながら、あのころ私の足元
に跪き、私の鞭を欲しがっていたノガミの姿を想い浮かべる。
私が振り下ろす鉛のような鞭の痛みにノガミはいったい何を考えていたのだろうか。私の鞭を
受けながらも、煌びやかな光に吸い込まれるように堕ちていく男たちの悦楽。私の客のどんな
男たちもそうだった。しなる鞭が空を切り、無抵抗に拘束された彼らの肉体に走る痛みは、い
つのときも彼ら自身の自慰的な快楽以外の何ものでもなかった。
でも、ノガミは何かが違っていた…。私があの頃プレイをした男たちと明らかに違っていたの
だ。マゾヒスト…いや、ナルシストである以上に、彼は私だけが与える苦痛によって、心と性
の情念を私だけのために冴え冴えと浄化していく求道者そのもののような気がしたのだ。
「…もう、出かけるの…」
朝、私がベッドの中で薄い目を開け、虚ろにつぶやいたとき、ノガミはすでにホテルの部屋に
はいなかった。気がつかなかった…。彼と関係をもつようになってから初めてのことだった。
私は、あまりに深い眠りに堕ちていたようだ。それは遠い過去のノガミが、私にもたらした夢
だったのだろうか…。
ホテルの窓から見える公園の冬桜が瑞々しい朝露に濡れ、昨夜に降った雨の雫を艶やかに花弁
に溜めている。その雫の虚しい囀りが、私のからだの奥深いところから聞こえてくる。朧気な
朝霞の中で見る冬桜は、しなやかな細い枝に咲いた花びらから凛と澄み切った光を放っていた。
その光は仄白い真珠のような雨の雫から放たれた光だった。
その花を見たとき、なぜか私は、夢の中のあの頃のノガミに、強く戒められる心とからだを感
じた。彼とのSMプレイにふちどられた自分のからだの中の血流が息を荒くし、じわじわと押
し寄せる淫蕩の疼きが、窓ガラスに薄く映った私の相貌をゆがめていく。吐息と蜜液が絡み合
う澱みにあの頃のノガミの肉体を意識するほど私の中にとどまっているものが溶けだし、膣穴
の襞に毒々しく滲み、飛沫をあげて黎明の靄の中に舞っていくような気がした。
私は全裸のまま、ホテルの窓辺に佇みながらゆっくりと煙草に火をつけた。