後編-1
蜘蛛娘と狸が山道を歩いていると、
狸めがけて小柄が飛んできます。
「むっ!」
蜘蛛娘は造作もなく小柄を叩き落とします。
「ひゃっ!あぶない!」
狸は飛び退って驚きます。
「誰ぞ!この狸は私の供だ!」
蜘蛛娘は声を上げます。
「これは驚いた!小柄を打ち落とすとは何物だ?
お主、見た目通りではないな?さては妖怪か」
逞しい武芸者が姿を現します。
「無礼な奴だ」
「妖怪を切って、名を上げる!」
「無益。馬鹿者め!」
蜘蛛娘はそう言うと、狸を抱えて糸を投げ、
木立の奥へ飛び去ります。
「待てい!妖怪!」
武芸者は、蜘蛛娘の後ろ頭に礫を打ちます。
蜘蛛娘はしりえも見ずに、ひょいと躱します。
「手練れの武芸者だったな」
「お嬢さまは見ずとも躱した」
「蜘蛛には目が八つ付いておる」
その町に着いたのは夜中でした。
「大きな町ですねぇ」
夜中の通りは暗く、静まり返っています。
「人が来る。殺気だっておる」
数人の男が、寝巻姿の女を抱えてこちらに走って来ます。
「いかぬ、人だ」
「子供だ。武芸者、斬り捨てい!」
「むっ?いつかの妖怪」
「馬鹿者の武芸者か」
蜘蛛娘は糸を飛ばし、男達の手から女を引き離します。
「ちいっ、今夜はだめだ。引けっ!」
武芸者の刀がぎらりと光り、
蜘蛛娘の赤い目が、鈍く闇に浮かびます。
蜘蛛娘は間合いを取り、張った糸を巧みに使い、
軽い身体を左右に素早く飛ばしながら、唸る刀を巧みに躱します。
いつの間に巻きつけたか、武芸者の手足や刀、頸にまで絡ませた糸を引き、
たたらを踏ませ、すんでの所で剣先を逸らし、
瞬きひとつせず白刃を掻い潜ります。
糸を絡ませ、動きを封じ、力を奪い取ります。
厚い毛、皮で急所を覆われた、獣と渡り合ってきた搦め手の兵法です。
武芸者は糸を斬り捨て、あるいは引き千切り、
豪剣を唸らせて蜘蛛娘に迫ります。
わずかな逡巡が命取りになる、息をもつかせぬ攻防です。
妖怪と、武芸を極めた男の、力と技の死闘です。
武芸者は蜘蛛娘の一手先を読み、
逆に力任せに糸を引き、蜘蛛娘の体を崩します。
武芸者は間合いを詰め、必殺の刀を振り降ろします!
蜘蛛娘は武芸者の懐に踏み込み、斬りかかる刀の柄を受け止めます!
蜘蛛娘は柄を両の手で押し返しますが、
武芸者は鬼の如き膂力で鍔元をねじ込んできます。
(いまだっ!)
そのとき、桶に化けていた狸が飛び出し、
武芸者のこむらに噛み付きます!
「なんぞっ!狸め!」
「ぎゃん!」
狸は蹴り剥がされます。
「狸、でかした!」
武芸者が気を逸らした隙に、蜘蛛娘は再び間合いを取り、
手早く四方に糸を飛ばし、
動きの悪くなった武芸者の四囲に網を張ります。
「これは、いかぬ」
武芸者は刀でぴしぴしと結界を切り破り、
糸をなびかせながら、びっこを引いて逃げました。
蜘蛛娘は、轡をかまされていた女の縛めを解きます。
「ありがとうございます!あなた様は命の恩人です!」
若い娘は蜘蛛娘を胸に抱きます。
「おお、痛いのなんの。馬鹿力め」
蹴り飛ばされて、白目を剥いていた狸が、頭を振り振り戻ってきます。
「犬の糞を噛んで咬みついたから、あの武芸者、熱を出しますぜ。ぺっ、ぺっ」
「あれ!この狸、話す!」
「私も人ではない」
「構いませぬ。
私の家は商家です。
あなた様がいてくれたら、よもや狙われません。
どうぞ、家に来てください」
若い娘は再び蜘蛛娘を抱きしめます。
(この娘は我々の正体を知っても恐れず、公平だ。正直の匂いがする)
商家の家人は娘の話を信じ、蜘蛛娘と狸は手厚く遇されました。
(ここの家人はみな気持ちが良い。ここを終の住処とするのも良い)
やがて狸は里山へ帰り、
人の精を吸わなくなった蜘蛛娘は、姿を変えて蜘蛛になり、
屋敷の隅に巣を張りました。
蜘蛛娘は事あるごとに姿を現し、娘を助け、
家人は蜘蛛を敬いこれを祀り、家は永らく栄えましたとさ。
おわり