あしあと-4
俺はそんな父親が、あまり好きではなかった。
そんな病気をしているのは、実はある程度自業自得だと思っていたのである。
普段は無口で大人しい父のほぼ唯一の趣味が、酒であった。
酒を飲むと、普段の無口さが嘘のように饒舌になり気が大きくなる。
そうして、気が大きくなった時に、父はよく事故を起こしたものだ。
そんな事故を起こしたさまを、俺は幼少の頃から見ていた。
ある時に、警察から電話がかかってきた。
父が飲食店で殴り合いの喧嘩を起こしたというのだ。今警察にいるから引き取りに来なさいというものだ。
酔っぱらい同士の喧嘩である。これは喧嘩両成敗でお咎めは無かったようだ。
だが、その時の母の困惑した表情は、幼心に脳裏に焼き付いている。
ある時は家族旅行の出先で父が酒を飲んで、そのまま車を運転したこともある。
母がさんざん止めたが、父が聞きいれなかった。
子供だった俺はどうしようもなくて、怯えるようにふらつく車内で固まっていた。
結局この時、観光バスの横っ腹をこすってしまい、やはり警察沙汰になったのだ。
嫌な思い出である。父の記憶は、こんなものばかりだ。
しばらくして、父は糖尿病を患い、酒を強制的に絶たれた。
幸か不幸か、そのことで我が家は平穏を取り戻したのである。
父も自分の健康状態を思い知らされたのか、その後酒を飲むようなことをしていない。
温泉めぐりやウォーキングなど、健康的なことに趣味を移して健やかに過ごしている。
それでも、昔の記憶が焼き付いていて、俺と父との会話は未だにほとんどない。
時は巡り巡って、自分の入院や手術を父に世話してもらうというのは、妙な気分だった。
酒はあまり飲まないし、たばこもやらない。
食事は気をつけているとは言わないが、無茶な飲食をしてるつもりはなかった。
何で俺に胆石なんか――
三十も半ばになる。父が入院したのは、たしか四十半ばの頃だっただろうか。
不摂生な生活をしていた父より先に俺がこんなことになるのに、何か理不尽さを感じる。
父が心臓の大手術をした頃、俺は受験生でセンター試験の二ヶ月ほど前だった。
家族全員で右往左往したものだが、全治三ヶ月と診断された父はそのタフさで、なんと一月あまりで退院してきたのだ。
俺には病的な因子だけ遺伝して、頑強さはまるで遺伝していない。
相性の悪いことだ。