あしあと-11
目が覚めた時は夕方で、母が病室に訪れた。
父は仕事始めで居ない。母が一人で病院まで自転車に乗ってきたようだ。
幸い、家から病院まではそう遠くはない。
外が晴れてるのか曇ってるのか寒いのかも今の俺にはわからないが、すっかり手間を掛けさせてしまったなと思った。
「気分は、どう? 痛みはあるの?」
「別に。良くも悪くもないよ。痛みは、今のところはそんなに無い」
「あんたの職場には、お父さんが連絡しておいたわ。緊急手術だったし、連絡する余裕なんて無かったでしょう? あんたの上司がしっかり治して来いって。あとであんたからも連絡しておきなさい」
「ああ」
職場にどうするかと思っていたが、両親がやってくれていたようだ。
検査やら手術やらで集中治療室にいたので、ケータイなど当然使えるはずもない。
この集中治療室から出たら、俺からも連絡しておこうと思った。
「手術、えらい大変だったのよ。真夜中までかかって。皆、夜中の二時くらいまで居たんだから」
「そっか。そりゃ、迷惑かけたね」
「あんたのお腹から一センチちょっとの石が四つくらいと、その倍くらいのが一つ出てきたみたいで、先生から見せられたのよ。そりゃあ。お腹も痛くなるわね」
「へぇ」
そう言いつつ、俺はその石を見ていないなと思った。
ここまで苦しめられたものを一度眼にしたいものだという気がしたが、もう捨ててしまっただろうか。
「管だらけだね。これじゃ、まだ動けないか」
「さっき、無理やり歩かされたよ。腸閉塞しちゃうとか言われて」
「はぁ、お父さんの心臓の手術の時と同じだね」
「え?」
「お父さんも同じようなことを言われて、歩いてたわ。あの時はお母さんも付き合ってね」
「もう、何年前かな。随分、昔のことだな」
「あんたが大学受験の時よ。お父さんは、大手術の後だったけど、目が覚めたらあんたに悪いことしたなって」
「何が?」
「受験に集中できなくなっちゃうなって。それで、お父さん、手術の翌日から病院中を歩き回ったのよ。早く退院しなくちゃって言いながら」
そんなこと、はじめて聞いた。
普段無口な父は、俺にそういうことはほとんど喋らない。
ただ、人より体力のある父が、淡々と病院で治療して早く出てきただけだと思っていた。
術後に歩きまわる困難さを、今の俺は嫌というほど知っている。
「三ヶ月も休んだら、会社もどうなるかわからないって。学費も仕送りもしなきゃいけなかったからね」
幼い頃の、酒癖の悪い父の記憶。
あれだけ事故を起こしても、何故か生活が破綻するようなことは無かったのだ。
幼少の頃に、そんなことまで考えられる分別は持ち合わせていない。
大学に進学してからはずっと一人暮らしで、あまり実家のことそのものを深く考えてこなかった。
父は、とうに六十を超えて、短い髪は真っ白に変わっている。
何かに間に合ったような気がした。