青の荒野-3
《ティアラ・シルフィール》
ファイルの一番上に書かれた名前が目をひく。ファミリーネームにあまり覚えはないが、ファーストネームには懐かしささえ感じた。
かつては毎日呼んだ名前。愛しさを込めて呼び続けた名前が活字となって今目の前に現れた。
「ティアラ…。」
この名前を呼ぶのはそう久しぶりなわけでもない。むしろ頻繁に使われているかもしれないが、自己完結で終わっているだけのこと。
ガレットはファイルを閉じ、歩きだした。五年ぶりに見る彼女の顔は、すごく大人びていた。
まさか一日で二往復するとは夢にも思わなかった。ついさっきもこの荒野を車で走り抜けた。彼女がいるあの小さな町を遠くから見るだけの為に車を走らせた。
今まさにあの町に足を踏み入れにいく、ティアラに会いにいく。離れてからはほとんどがメールでのやりとり、出払っていることが多い為電話は稀なことだった。最後に声を聞いたのはいつだっただろう?
ついこの間まで遠征に出ていたガレットにとっては、少しの時間でも遠い昔のことのように思える。
約一年、二人で過ごした毎日はもう五年も前になるのに、あの日々だけは鮮明だった。
「思い出した…ティアラ・シルフィールって、シャオのファミリーネームだ。」
あの離れた日、ガレットの代わりにティアラの手を握ったシャオ・シルフィール。あの町で宿屋を家族で経営している女性で、自らティアラを受け入れてくれた。
ティアラはかつてガレットの所属していた基地に保護された戦争孤児だった。
反乱軍により村を焼かれ、彼女自身も恐怖から記憶を失った。覚えているのは村を襲われたことだけ。
世話係になったガレットに口をきけるようになるまで二週間。触れても平気になるまで一ヵ月半。自分から話し掛けるまで半年。極端に外に出るのを嫌がったティアラは、基地内に保護されることになった。
そしてまた彼女にとって悪夢が再び甦り、基地は反乱軍によって壊滅させられた。ガレットはティアラを連れて脱出し、基地隊長からの集合命令がかかるまで二人は一緒に過ごすことにした。それが六年前の出来事。
思い出にふけっている間に目的の町に着き、目的の場所が目の前にある。
「やべ…こんな格好で来ちゃったよ。」
着古した作業用軍服に後悔するが、ここまで来たらしょうがない。服をつまんでみせる。せめて埃くらいはと、全身をはたいた。やがて覚悟を決めてガレットは車から降りる。
カランカラン
宿屋のドアを開くと聞き慣れた鈴の音がガレットの存在を知らせる。カウンターからは女性が頭を出してガレットを確認した。
「いらっしゃいませ…あら?あなたもしかして。」
「お久しぶりです。シャオさん。」
シャオと呼ばれた女性は、懐かしそうにガレットを迎え入れた。彼女こそが、今のティアラの保護者だった。
「やだぁ、立派になっちゃって!あの時はまだ幼さがあったのに、もう一人前の青年ね。」
「いや、まだまだです。それで今日はあの、ティアラは?」
「奥にいるわ。」
そう言って奥に行くように促し、明らかに緊張しているガレットをほぐすように背中を叩いた。