Mirage〜1st contact〜-13
「‥‥花火、見に行こか」
その言葉を言い終わったか、終わらないかの瞬間。
──ドォンっ!!
その音で、僕と筑波は弾かれたように同時に後ろを振り向いた。そこには満開の空の花。
左手首の腕時計は、8時10分前を指している。
「話がちゃうやんけっ! 筑波、急ぐでっ!」
「おぅっ!」
筑波の威勢のいい返事をスタートの合図に、僕たちは全力で駆け出した。
「うわぁ‥‥」
隣で筑波が間の抜けた声を上げる。
僕と筑波は川沿いの土手の上に立っていた。そこから見えるものといえば、人。人。人。僕の本能が絶対暑い、やめておけ、と告げていた。
僕の判断は速い。
「こっちや」
僕は筑波の手を引いてもう一度駆け出した。
「いや、ちょっ‥‥神崎くん、こっち反対‥‥」
「ええねんええねん。黙ってついて来ぃ」
僕は筑波の手を引き、土手を下りて少し走ったところにある、立入禁止の札が下げられた廃ビルの前にやって来た。申し訳程度に張られたチェーンを跨ぎ、易々と中へと進入する。筑波も浴衣の裾を気にしながらついてくる。
息を切らせてビルの階段を登り切ると、そこには贅沢なほどの特等席が用意されていた。
「すっごぉい‥‥」
肩で息をしながら、筑波が目を丸くする。
「ここ、昔ホテルやったんやけど、すぐ潰れて、このまま放置されてんねん」
僕は金網に手を掛けながら説明した。その間にも、花火は続く。
「こんだけ田舎やしな。こんなデカいホテル建てても、宿泊客なんて来ぃひん。けど、この花火大会だけは、このちっこい街の自慢やねん」
花火が、昇っては咲き、漆黒の空に白煙を残し、散る。そしてまた昇っては咲き、散る。
夏の花は、誰の目に見ても美しく映る。それは、視覚的芸術性の為だけではないと、僕は思う。花火が咲くことができるのは、一瞬。この世における存在を許された時間は、蝉よりも、蜉蝣よりも遥かに短い。その究極の薄命という名の儚さが、この夜空の彩の美しさを際立てているのだと思う。
「せやな」
筑波が僕の隣へ身を寄せる。花火に照らされた横顔は、一瞬息を呑むほど美しく、そして優しく微笑んでいた。
「いくらでも胸、張ってもええで」
けれど次の瞬間僕を振り向いた彼女は、いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
このように、彼女はたくさんの顔を持っていた。どんなに大きなパレットを広げたとしても、彼女の表情の全てを描き切ることはできないだろう。僕はそれを妬ましくも、羨ましく思った。そして、そんな自分の汚さを呪った。
「ありがとう」
気が付くと、僕の頬は緩んでいた。
「それよりも‥‥やな」
僕は気まずさを隠しきれずに頭を掻く。ずっと、言わなければならなかったこと。筑波は、ん? と言う代わりに整えられた眉を持ち上げて僕を見た。
「あの‥‥縁日のことやねんけどな」
筑波はああ、と言って薄く笑った。
「神崎くんにも、カワイイとこあんねんな」
筑波は微笑んだまま、腰の後ろの帯の結び目の下あたりで手を組み、足でゆっくりとコンクリートの足元を叩いた
「いや、だからあん時は──」
「わかっとるよ」
僕の弁明を、筑波はやんわりと遮った。
「神崎くんは、あの時は転びそうになったうちを助けようとした。それが結果的にうちが神崎くんの胸に飛び込む形になってしまった」
ゆっくり、ゆっくり。筑波は、一歩一歩の足の裏の感触をすら逃すまいとするように、僕の方へ歩く。