その人はあまい-1
「閉店作業終わりました」
バタン、とドアを閉めた音と同時にわたしは声をかけた。
厨房にいるはずなのに、返事はない。
いつものことだけれど。
ため息をつきながら足を進めた。
店の入り口からそう遠くないはずのその場所が、いつもこのときだけ遠く感じる。
そうだ、いっそなくなればいいのに。
やっぱちに思ったぐらいに、わたしの足音に気付いて声をかけるのだ、あの人は。
「あ、美優ちゃん終わった?お疲れ様」
先月買ったと自慢していたスマホから顔をあげたその人は、にっこりと笑った。
その笑顔に心がざわっとするのもいつものこと。
発注資料を確認するとかなんとか言って、店をアルバイト1人に任せていたはずなのに、それを連想させるものはとっくにしまわれていて。
いつも清潔に保てと口うるさく言っている、作業台のうえに行儀悪く腰掛け。
今日、お客さんに褒められていたオールバックの髪型はとっくにぐしゃぐしゃなのもいつものこと。
「さあ、早く帰ろうか!俺、今日は飲み会なんだよねー!」
浮かれた声で言う言葉の意味することは、とっとと着替えて来い、ということ。
そういう自分はとっくにコートを着込んで、車のキーをくるくる。
薄い制服にカーディガンで外回りを掃除してたわたしに、まったく気にする気配はなし。
そんなことに心の中で今日何度目かわからないため息をつくのも、いつものことなんだ。