上り坂の途中-1
「それじゃ、カンパーイ」
缶ビールを持ち上げた俺は、ローテーブル越しに座る恋人の小夜(さよ)に微笑みながら、同じく彼女が持っている缶ビールにゴツンとそれをぶつけた。
グラスじゃないから心地いい音が鳴らなくて苦笑いになる。
だいぶ暖かくなってきたとは言え、まだまだ冷える春の夜。
それでもこれは時期外れだよな、と俺はテーブルの上でグツグツ煮えている鍋の中身を見た。
ちょっと贅沢に、すき焼きだ。
小夜がガラスの鍋蓋を持ち上げると、白い湯気が一気に部屋に広がっていく。
「さ、いただきますか」
小夜はそう言って、取り皿に手際よく中身を取り分けていった。
こうも毎日が幸せだと、ふと怖くなる時がある。
人生山あり谷ありとか、よく聞くだろ?
上り坂もあるからこそ下り坂もあるわけで、そうやって人間は生きていくものだから。
その法則で言えば、今の俺は間違いなく上り坂を上っている状態。
「はい、どうぞ。ちょっといいお肉にしたから、いっぱい食べてね」
そう言って肉や白菜、焼き豆腐や白滝など、バランスよく盛ってくれた小夜は、俺にニッコリ笑って取り皿を寄越してくれた。
ああ、この笑顔、めっちゃ癒される……。
白くてふっくらした顔をクシャッとさせる、その笑顔に俺の顔も綻ぶ。
この笑顔が自分のものになるなんて……。
付き合ってもうすぐ9ヶ月ほどになる小夜の笑顔を噛みしめつつ、俺は柔らかい肉を咀嚼し始めた。
どんなカップルも、付き合うまでに紆余曲折を経て、そこに至ると思う。
俺達も、すれ違いや誤解もあって、傷ついたり傷つけたりもしたけれど、今となっては笑い話になるくらい。
それほど、今の俺達は穏やかで、幸せな毎日を過ごしていた。