追跡-3
山のような書類を机に広げ、パソコンとにらめっこをしていた石橋は、鞄を抱えて部長室から出てきた田倉を横目で見た。
(最近のヤツは忙しそうだな)
石橋も忙しいに決まっているのだが、作成した見積書の裏側にとりあえずアダルトサイトは立ち上げてある。
同時に、同じように目で田倉を追っている沼田を目撃した。その沼田と目があったので、石橋はスローモーション映像のようにモニターに顔を隠していった。横にいる社員が四十五度に体を傾けている姿を見て眉を寄せるが、その表情を見ても例のごとく、石橋はあまり気にしない。
あの日、沼田と二人っきりの祝杯のあと、二軒目からは――実は一件目から――相手の会話や自分が話した内容などは全く覚えていないが、とにかく女がたくさんいて楽しかった記憶だけは残っていた。目覚めたのが駅のホームだったのはちょっと照れたが、ぐっすり眠れたせいか目覚めは爽快だった。
胸を探り財布があるのを確認してホッとした。いくら金を使ったのかと中身を見たが、そっくり残っていたので驚いた。奈津子の写真が紛失していたのでガッカリしたが、家に帰ればほかのシーンを印刷したものがいくらでもある。携帯用にはその中から選んでもいいし、また印刷すればいい、と石橋は前向きであった。
沼田がハシゴをした先々で金を出してくれたのだろうか。とても信じられない思いだが、感謝の気持ちがいささかもわいてこないことに、多少なりとも後ろめたさを感じていた。
でも、何のために? どう考えてもこの疑問は解けなかった。
仕事の打ち合わせなどで石橋の顔を見ては、ニッと笑い黄色い歯を見せたりする。先に目が笑い、そのあとでのたりと口が笑い始める顔にはゾッとする。ただでさえ顔が人間離れしているのに、七変化のような表情はひときわ不気味だ。なぜか最近は猫なで声で話しかけてくるのでうす気味悪くてしかたがない。
リノリウムの通路を足早に横切る田倉見て、石橋は慌てて見積書を印刷した。
「これを持って打ち合わせに行ってきます」
見積書と資料を見せて沼田に断りを入れる。
「いいよ」
沼田は妙に語尾を伸ばし目を瞑っておもむろに頷いた。『よ』のあとに小さく『ん』も入っていた。
「田倉さんも外出のようだねぇ」
背を向ける石橋に声をかける。ドキッとして振り向くと沼田がウインクした。胸の内で悲鳴を上げ、逃げるようにして出て行った。
地下駐車場へ行くと田倉がちょうど車に乗り込むところだった。それを見て石橋は「あぁ……」とため息をつき落胆した。運転席に田倉の部下が乗っていたからだ。しかも社名ロゴのあるバンだ。
最近の田倉は外出するときには必ず部下を連れいる。その後は二人で一緒に帰ってくる。
「今日も違うな」
もしかしたら最近は会っていないのかも知れない。
石橋は休日になるとわざわざレンタカーを借りて、奈津子の家を張り込んでいる。奈津子が家から出てくるときは必ず家族と一緒だった。
多忙の田倉は夜遅くまで社内にいる、といった情報は得ていた。奈津子は主婦なわけで夜はまずあり得ないだろう。休みの日もないので、従って最近は『ない』と思われる。ホッとする反面、物足りない気分であった。
「いや、俺は進藤さんを守りたいんだっ」
それを打ち消すように首を振り、一人っきりのエレベーターの中でつぶやいていた。
あっという間に戻ってきた石橋を見て沼田は驚いた表情を見せたが、口をへの字にしている石橋には何も言わなかった。
夕方に田倉は戻ってきた。ケータイを耳に当てながらフロアを横切っている。いったんは部長室に入ったがすぐに出てきて「申し訳ないが今日は帰る」と言った声が聞こえた。
石橋は慌ててデスクの上を整理し始める。バッグをつかんで立ち上がった。そのとき耳の後ろで、「どうもお疲れさま」と吐息のようなささやきが聞こえたので、石橋は悲鳴をあげた。