雌狐の村-2
春菜が前に座った修平と夏輝をちらりとみた後、健太郎に向かって言った。「私もケンと一緒に露天風呂に入ればよかったな……」
「えっ?!」健太郎は驚いて春菜の顔を見た。「な、なに言ってるんだ、ルナ。入ったじゃないか、いっしょに」
「えー、私行ってないよ」春菜はそう言って修平にそっとウィンクした。
修平が言った。「おまえ一人で風呂に行っただろ」
夏輝も言った。「そうそう。春菜、夜の森が怖いからどうしても行きたくない、って言って、行かなかったよね」
「私、天道くんたちとコーヒー飲んでたよ」
「そ、そんなばかな! だ、だって、あの時、ルナ、風呂で俺と、えっと……、その、つ、繋がったじゃないか」
「繋がった?」修平が眉間に皺を寄せた。「誰と?」
「だ、だからルナとだよ」
「もしかして……」夏輝が顎を手で支えて健太郎を上目遣いで見た。「その春菜、あの雌狐さまだったんじゃないの?」
「えええっ!」健太郎は大声を出して思わず椅子から立ち上がった。
「って、嘘だよ、ケン」春菜がにこにこ笑いながら健太郎の手を取った。「あなたが抱いてくれたの、正真正銘の私よ」
「なっ!」健太郎は息を整えながら座り直した。「悪い冗談やめてくれよ。まったく、みんなで俺をからかって……」
「わっはっは!」修平が大声で笑った。「春菜も役者だぜ」
「でも、知ってた? ケンちゃん」夏輝がにこにこ笑いながら言った。
健太郎は麦茶を一口飲んで目を上げた。「何を?」
「あのお風呂、子宝が授かるっていう効能があったらしいよ」
「え? ほんとに?」
「そう」修平が言った。「小屋の裏手に石碑みたいのがあってよ、それに書いてあったぜ。『子宝の湯』ってな」
「へえ」
「そうだったんだー」春菜は健太郎を見て微笑んだ。「気づかなかったね」
「も、もしかして、授かった? ルナ」健太郎が恐る恐る訊いた。
「ケンとの赤ちゃんは、とっても欲しいけど、残念。今は安全期」
「そ、そうか……」健太郎は赤面して、また湯飲みを口に運んだ。
「もし、昨夜できてたら、お山の子と腹違いの子になってたところだな」修平が面白そうに言った。
「な、何だよ、『お山の子』って」
「おまえ、お山を妊娠させたんだろ?」
「ケンちゃんの遺伝子を持ったリスとかドングリとかが生まれるってことでしょ」
「そんなばかな」
「また行きたい。私、ケンとあの温泉に」
「あんなに怖がってたのに?」
「だって、素敵な時間だったんだもん」春菜はうっとりした目で健太郎を見た。
「まさか……」健太郎は春菜の頬を両手で包みこんで、しげしげと顔を見た。「このルナも雌狐さまが化けてたりして……」
「うふふ……」春菜は上目遣いで微笑んだ。
彼女の目元にほくろはなかった。「大丈夫みたいだな」健太郎は春菜から手を離した。
「ケンちゃんのおかげで、この村も安泰だね」夏輝がにこにこしながら健太郎の顔を見た。
「だけどよ、なんで俺じゃなくてケンタだったんだ? 俺だって雌狐さまにたぶらかされてお山とエッチしたかったぜ」
「ケンがおいなりさんお供えしてあげたからじゃないかな。それに」春菜が健太郎を横目でちらりと見た。「人並み以上にいっぱい出すからだよ。きっと」
「ルナっ!」健太郎が赤面して春菜を睨んだ。「恥ずかしいコト言わないでくれっ!」
「そっか、そうだよね」夏輝が言った。「ケンちゃん、大量に出すんだってね。春菜に聞いた」
「大量に? おお! そうだったな、ケンタ、昔からいっぱい出してたよな」修平がおかしそうに言った。
「昔から?」
「そう。中学ん時から、俺、ケンタには量も、反射回数も、飛距離も勝ったことは一度もねえ」
「飛距離?」春菜が修平の顔を見た。「何? 『飛距離』って」
「飛ばし合いのことでしょ?」夏輝が言った。
「その通り。俺たち、学校帰りの河原でたびたび、」
「もうやめてくれっ!」健太郎は思わず叫んだ。そしてますます赤くなって、縁の欠けた湯飲みを口に運び、黄金色をしたその極上の麦茶を飲み干した。
「お待ちどうさん!」おばちゃんが四人が注文したものを運んできて、白い手でテーブルに並べた。
「あ、麦茶のお代わり、いただけます?」春菜が健太郎の湯飲みを持ち上げた。
「あいよ」おばちゃんが健太郎の湯飲みを受け取った。「うまいだろ? お山の水」
「はい。とっても」春菜はにっこりと笑った。
おばちゃんは四人の湯飲みを盆に載せた。「すぐ持って来てやっから」そして早足で厨房に向かった。