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金魚すくい
【純文学 その他小説】

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金魚すくい-1

とろとろと泡を吐き出しながら、けだるそうに泳ぐ金魚を、森安さんは見せてくれました。金魚がひれを動かすたびに、水槽の中の水がぬるりと揺れるのです。水槽のガラスの傍に近づいてきたときには、金魚の体がきらびやかな朱色によって彩られているのが分かるのですが、それも束の間、すこしでも離れてしまえば、粘っこく、青黒い水が金魚の輝きを覆い隠してしまうのです。

「二酸化マンガンを溶かしてこういう黒い水を作っているんだよ。」と森安さんは言いました。「この黒い水のなかに、金魚を入れておくんだ。そうやって何年もすると、はじめはぴかぴかに輝いていた金魚の体が、この水の色と同じように、だんだんとくすんでくるんだよ。」
そう、金魚の体の色を、きらきらした朱色から、青くろい色に変えてしまう、それが森安さんのやっていることなのです。なぜそんなことをしているのかと言うと、森安さんご自身の言葉を借りるなら、「救い」ということです。

「金魚の体の、ぴかぴかした朱色というのは、人間が、自分たちが鑑賞して楽しむために作り上げてきたものだ。突然変異を起こした赤いフナ同士を交配させて、色のきれいなものだけをさらにかけ合わせて、観賞用の魚としての金魚を作ったんだ。それはわがままな人間のしたことなんだ。だから私は、人間のわがままから金魚を救うために、元の色に戻そうとしているんだよ。」
そういった話を、森安さんはよくしていました。
そういう話をしているときの森安さんの顔を、私はよく覚えています。いつもより少し黒目の部分が大きくなり、かすかに揺れているように見えました。それは、自分の言葉を完全には信じられない、不安に苛まれた人間の目だったのだと思います。

二酸化マンガンの中に入れられた金魚は、何ヶ月もすると、森安さんの言うように、だんだんとその輝きを失っていきました。森安さんは青黒い水槽の中を泳ぐ、くすんだ金魚を、やはり黒目を細かく震わせながら、眺めていました。私は少し残念な気持ちになったのですが、森安さんの前でそんなことを口に出すことはできませんでした。それが森安さんの言う人間のわがままなのですから。
でも、輝く金魚をもとのフナに戻すことだって、金魚が望んだわけではなく、森安さんの手によって、人為的になされているのです。それを森安さんは一体どのように考えているのか、そのことも私は結局尋ねることが出来ませんでした。
私に勇気がなかったからです。森安さんは純真な人でした。その純真さが長所でもあり、短所でもある人でした。

私の質問が、森安さんを深く傷つけてしまうことは間違いなかったのです。でも、私がそんな質問をしようがしまいが、すでに森安さんは傷ついていました。結局人工的に金魚を脱色する、ということを自分がやっている、という矛盾、そして何よりも、森安さん自身があざやかな色彩の金魚を愛していたということなのです。
そもそもあの金魚の鱗の一片一片が放つ透き通った朱色の光彩に魅せられたがゆえに、森安さんは金魚を愛し、そして人間の罪を知ったのです。

自分の愛する金魚の朱色の体が、幾多の罪によって彩られたものであることに気づいたのです。
私には、森安さん自身が金魚のように思えてなりませんでした。金魚の透き通った朱色の体のように、けがれのない森安さんの純真な気持ちは、しかし、金魚を愛したいという、ひとりの人間のわがままから生まれたものでしかないのです。そして森安さんのわがままが、青黒い水の中に金魚を閉じ込めることとなったのです。金魚も、森安さんの純真な気持ちも、人間のわがままから生まれたものに他なりません、森安さんの震える黒目を見つめながら、私はそのように思いました。
私は森安さんを殺しました。森安さんが自身のわがままから発した「救い」によって、金魚を青黒い水のなかに沈めたのと同じように、今度は私が、森安さんを青黒い水のなかに沈めたのです。二度とその黒目が震えることのないようにしてあげようと、その一心でした。これは森安さんを愛してしまった私が森安さんへ差し伸べた「救い」であり、同時に私のわがままでもあります。


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