投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

大陸各地の小さな話
【ファンタジー その他小説】

大陸各地の小さな話の最初へ 大陸各地の小さな話 56 大陸各地の小さな話 58 大陸各地の小さな話の最後へ

温泉休暇の大騒動-11

 ***

「――なんとお礼を申し上げれば良いか……」

 女将というらしい旅館の女主が、広間で退魔士たちに深々と礼を述べる。
 オークと魔獣使い達は、ふもとの役所からきた退魔士たちが連行していき、壁に開いた大穴は、予備のふすま戸や衝立で簡易的に塞いだ。
 他の客や退魔士の家族は部屋に引き上げ、とっくに夕食をとっているはずだ。

「遅くなってしまいましたが、お食事の方は、別室にご用意いたしましたので」

「これはどうもご丁寧に」

 隊長が敬礼し、退魔士たちは女将に案内されて廊下を歩き出す。

(今のうちに退散するか……)

 彼らの後ろにいたギルベルトは、さりげなくきびすを返した。
 つい、ジークと卓球勝負に熱くなったあげく、オーク退治まで手伝う羽目になってしまった。
 これ以上ヘタに関わって、退魔士たちに正体がバレたら、目も当てられない。

 どうやら女将は、ギルベルトも退魔士の一行だと思っているようだし、退魔士たちも『なんか成り行きで手伝ってくれた人』と、深く突っ込まないでくれているようだ。
 だが、ギルベルトの前に、クマのような隊長が、のっそりと立ちはだかった。

「王都の中央西区署で第五部隊の隊長を勤めるローレンス・デル・レイと申します。このたびは、ご協力を大変感謝いたします」

「あ、いや……別に、そう大したことでも……」

 しどろもどろに冷や汗をかくギルベルトの両肩を、ゴツイ両手がしっかりと掴む。そのまま隊長は、ズズイとヒゲ面を寄せた。

「突然ですが、退魔士の職に興味はありませんかな?」

「――は?」

「貴方でしたら、即日にでも退魔士への入隊を保証しましょう!」

「あの、すみませんが、俺はまったく別の仕事をしていまして……」

「ハッハッハ、転職も大歓迎ですぞ! 王都の退魔士は、深刻な人材不足でしてな」

 隊長の眼光は、完全に獲物をロックオンした獣のそれだった。逃がすものかと、両眼がしっかり物語っている。

「い、いえ……」

 助けを求めて周囲を見たが、退魔士たちの表情は生暖かかった。

 ――すいませんね、諦めてください。そして、仲間にようこそ!

「……っ!!」

 ジークもさっきまで確かにいたのに、さっさと姿を消してしまっている。

「宜しければ一度ぜひ、体験入隊だけでも!」

「勘弁してください! 俺は考古学が気に入ってるんです!!」

 半ば本気の悲鳴をあげ、ギルベルトはクマ隊長の手を振りきる。

「あっ! せめて名前と住所をーーーっ!!!」

 響く太い声から、脱兎の勢いで逃げ切り、部屋に飛び込んで鍵をかけた。
 部屋で待っていたエメリナが、目を丸くする。

「はぁっ……はぁ……」

 ――怖かった。本気で怖かった。

「先生、どうしたんですか?」

「ああ、ちょっと……」

 あやうく、退魔士に転職させられる所だったとも言えず、額の汗を拭った。

「……ん?」

 ふとエメリナの横を見ると、すっかり冷めてしまった食事が二人分、手付かずのままで膳に乗っていた。
 すでにかなり遅い時間で、部屋には布団も敷かれている。

「待っていてくれたのか……すまない」

「せっかくの旅行ですから。それに先生の大活躍を見られて、大満足です」

 可愛らしく微笑むエメリナを前に、我慢できなくなった。
 湯の香りはすでに消えていたが、しどけない浴衣姿に眩暈がする。
 畳に膝をつき、有無を言わせず抱き締めた。

「せんせ……んんっ!」

 夢中で唇を貪った途端、くぅぅ……っと空腹を訴える音が聞こえた。

「っ!」

 エメリナが両手でお腹を押さえ、赤面する。

「あの……ちょっとお腹が空いちゃって……」

「はは……お待たせしました」

 正直に言えば、食事よりも彼女を貪りかったが、我慢我慢。
 エメリナの向かいに座り、両手を打ち合わせた。東の国に習い、食事開始の挨拶をする。

「いただきます」

 美しく盛り付けられた料理は、冷え切っていても、そこそこ美味しかった。
 膳には東の代表的なカトラリーである箸が置かれていたが、使い慣れていない人のために、ナイフとフォークも付いていた。ギルベルトは久しぶりに箸を使って食事を取る。
 エメリナは箸を使おうと四苦八苦し、あきらめてフォークとナイフを両手にとっていた。

「……箸って難しい。先生は上手ですね」

「始めて使った時は難しかったけど、慣れれば便利だよ」

 右手を少しあげ、箸棒の持ち方を見せると、不意にエメリナの顔が強張った。ヒクヒクと頬が痙攣している。

「ん?」

「……うわっ……袖の奥がチラ見え……浴衣、最高!」

 小声で呟いたエメリナの鼻から、つぅっと赤い筋が流れた。

「エメリナくん! 鼻血鼻血!」

 ――ああ、やっぱり。旅先でも、浴衣を着ていても、エメリナはエメリナだった。



大陸各地の小さな話の最初へ 大陸各地の小さな話 56 大陸各地の小さな話 58 大陸各地の小さな話の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前