凶暴回帰の満月夜-1
「行くぞ、さっさと立て」
エメリナの上から退き、ジークが轟然と促す。もう勝手に協力を決め付けているようだ。
腹立たしかったが、ぶつけた頭をさすりながら、しぶしぶ起き上がる。
床でもがいたせいで、衣服はグシャグシャだった。
すっかりめくれ上がっていたスカートを慌てて降ろし、千切れかけているブラウスのボタンを、急いではめる。
「変な心配すんな。クスリと婦女暴行だけは未経験だ」
「あれだけ鮮やかに縛り上げた人が言っても、説得力ないわね」
「信じろとは言わないさ。まともな人生送らなかったのは確かだからな」
ジークは気にするようでもなく、悠々とエメリナのバッグから携帯電話を取り上げた。
「ああ、これは預かっておく」
そして……
「――絶対いや」
エメリナはしかめっ面で拒否した。
記念公園までの道中、逃げ出さないよう、手を繋げと命じられたのだ。
「そーかよ。じゃ、手錠と魔獣用ロープのどっちがお好みだ?好きな方で連行してやる」
ジークがベルトに下げたその二つを見せた。エメリナはしかめっ面をさらにひきつらせる。
冗談じゃない。
退魔士に強制捜査されただけでも危ないのに、手錠で連行される姿なんか晒されたら、間違いなくアパートを追い出される。
「……せめて手袋をさせて」
口を尖らせて妥協案を提示すと、ジークが思いっきり眉間に皺をよせた。
「お前は相当に失礼だな。俺はバイキンかよ」
いっそう人相が悪くなった退魔士へ、フンと鼻を鳴らす。
少しでも時間稼ぎをする口実だが、炊事用ゴム手袋でもしたいのは本音だ。ギルベルトをゴキや蚊に例える奴など、大腸菌に等しい。
「確かクローゼットの奥に……」
さりげなく離れようとしたが、問答無用で片手首を掴まれた。
「肝が座ってるとこだけは、認めてやるよ。だがな、これ以上グダグダ言うな」
部屋の壁際に、見慣れない黒いケースが立てかけられていると思ったら、やはりジークのものだったらしい。
傍若無人な退魔士はケースの紐を肩にかけ、エメリナを引き摺るようにして、さっさと玄関の扉をあける。
「まぁまぁ!退魔士さん、どうでした!?」
扉を開けた瞬間、鶏のような声がけたたましく響いた。戸口の正面に、一階にすむ大家のおばさんが立ちはだかっていたのだ。
「わわっ、大家さんっ!?」
噂好きの大家は好奇心で身をのりだしつつ、エメリナへ批判満載の視線を向ける。
「うちはペット禁止よ!それなのに貴女、とんでもない魔獣を飼っているそうじゃないの。事と次第によっては……」
「い、いいえ!誤解です!同姓同名の人違いだったんです!そうですよね!?ね!?」
大家から見えないよう、ジークをを肘で小突く。
ジークはエメリナをチロッと見下ろし、非常に嫌な薄笑いを浮かべたが、すぐ表情を改め片手で敬礼した。ポケットから合鍵を取り出し、大家に差し出す。
「とりあえず、部屋にはいませんでした。ご協力感謝します」
見た目通りの極悪人のくせに、そういう仕草をすれば、一応きちんとした退魔士に見えるのだから不思議だ。妙なところに感心してしまった。
「あらそう……」
ジロジロと、まだ大家は疑わしげに眼を光らせている。
「どうして退魔士さんに連行されるのかしら? まさか本当は、もっと深刻な……」
「いえいえいえっ! 連行じゃありませんよ! 仲よくお出かけです!ほらっ!」
必死で否定し、繋いだ手を振り上げて見せた。
「まぁ、退魔士さんは、お仕事中なのに?」
ジリジリとしつこく追及する大家は、鼻がくっつきそうなほどエメリナに詰め寄る。
「あ、あの、もうお仕事は、これで終わりだそうで……」
必死にいい訳するエメリナを、ジークが意地の悪いニマニマ顔で眺め降ろしている。
いっそのこと、この退魔士こそ非道で下種な悪党ですと、この場で言ってやりたい。
しかしそうなれば、ギルベルトが人狼であることも暴露されてしまうだろう。
「ほら、今日は満月祭で賑やかじゃないですか! 私もちょうどヒマだったし、これも何かの縁だから、ご一緒しようかって……さ、行きましょうか!」
今度はエメリナがジークを引っ張り、そそくさと歩き出す。
「く、くく……ま、そういうことで。んじゃ、失礼します」
遠ざかる二人を、大家はあんぐりと口をあけて見送っている。
「まったく、最近の若い人は……」と、不服そうな声を後に、大急ぎでアパートの階段を駆け下りた。