金髪女-4
トゥルルルルン− トゥルルルルン−
照明が消され、ひっそりと静まり返った玄関の廊下。
その静寂を破り、唐突に電話の呼び出し音が鳴り響いた。その音は何度か壁に反射し、二階の勉強部屋にも届いた。
(あれ、電話が鳴ってる……)
少女の両親は、なんでも母親方の実家で親戚の寄り合いがあるとかで昨日から実家に帰っている。
少女は学校の期末試験を控えて、自宅で一人、勉強しながら留守番をしていた。
(今頃、誰? 出るの面倒だなあ。でも、知り合いの人とか、親戚からの電話なら、出ないわけにはいかないし……)
何分経っただろうか。あれこれ考えているうちに、いつの間にか電話は鳴り止んでいた。
(とうとう出なかった……誰からだったんだろ……ママかな? だったら後で怒られちゃうよ……)
勉強部屋で寝そべっていた少女は、おもむろに起き上がると階段をゆっくり下りてキッチンへと向かった。
冷蔵庫のドアを開けると、パックを取り出し、牛乳をコップに注いだ。
(ふう。 自分で勉強するのって、苦手なんだよね……)
少女は立ったまま一気に牛乳を飲み干した。
トゥルルルルン−
「うええっ!」
不意を突くように再び玄関の電話が鳴った。
驚いた少女は、危うく口に含んだ牛乳を吹き出しそうになった。
(驚いた……! また鳴ってる……仕方ないなあ)
とぼとぼと半ば諦めたように玄関へ出て行くと、大きく深呼吸してから受話器を取り上げた。
「……もしもし?」
緊張のせいか、か細い声が少し震えている。
「……」
少し待ってみたが、受話器の向こうからは返事が無かった。
(聞こえなかったのかな……?)
「もしもし!」
今度は大きめの声で、はっきりと呼びかけ、受話器を耳に押し当てて返答を待った。
しかし、やはり応答が無い。いたずら電話かと思った時だった。かすかに受話器の向こうからクスクスと笑い声が聞こえた。
「……もしもし、あたし。……覚えてる? あ・た・し」
少しハスキーな女性の声が、なれなれしく話しかけてきた。
(え……誰?)
初対面とは思えない、からかい気味の口調に自分が知る限りの人物を思い浮かべてみたが……さっぱり心当たりが無い。
しかし声の質は、どこかで聞いたことがあるように思えた。
「あ、あの、すみません、どちらさま……でしたっけ?」
少女は、すまなそうな声で、おずおずと尋ねた。
「やだ、忘れたの? あたし。サ・ヨ・コ、よ!」
名前を告げられても、やっぱり分からない。少女はますます混乱してしまった。
「もお、冗談きついんだから! また会いましょうって、約束したじゃない!」
(きっとこの人、勘違いしてる! 間違い電話だわ)
「あのう、サヨコさん……ですか、ごめんなさい、心当たりが無いので、間違いじゃないかと」
「あれ、そうなの? あなた響子ちゃんじゃ無いの?」
(やっぱり間違い電話だった)
「あの、こちら芹沢なんですけど……」
「芹沢? ほらやっぱり!芹沢響子ちゃんでしょう?」
「いいえ、違います! 芹沢真奈美です。響子じゃありません!」
少女は、間違いに気付いてもらえない電話の相手に、もどかしさを感じてついつい口調が荒くなる。
「ふうん、芹沢真奈美って、いうんだぁ」
えっ、と彼女は一瞬耳を疑った。
聞き覚えのあるその声に、ようやく誰なのか思い当たり、金縛りに遭ったように体が硬直した。
(まさか! どうして家の電話番号を知っているの!)
真奈美は、その女がどうやって自分の家を探り当てたのかが分からず、すっかり狼狽してしまった。
「うふふ、冗談よ真奈美ちゃん。私はあなたをよく知ってる。そして、あなたも私をよく知っているわ……」
サーと血の気が引くよな感覚を覚え、気が遠くなる思いがした。受話器を握る手のひらは、じっとりと汗が滲んでいる。
「あなた、私が毎晩犬を連れてあなたの家の前を通るのを、二階の窓から覗いていたでしょう?」
「え……!」
知られていた……見られていたんだ……二階の窓のカーテンを少しずらして覗いている姿を……そう思った途端、真奈美は顔面に火照りを覚えた。
「最近はよく後を尾けて公園まで来てたでしょう? そして昨日の朝は、そこで私が……いいえ、私たちが何をしていたのか、ちゃんと見てくれたわよね」
そう言われて、真奈美はその時の光景が記憶の底から鮮やかに蘇るのを感じた。あれほどのショッキングな光景は、そう簡単に忘れようとしても忘れられるものではない。
「……真奈美ちゃん? 真奈美ちゃん、聞いてるわよね?」
「あっ…… は、はい……」
サヨコと名乗る女性の声の主は、いつも夜中に家の前を黒いハーフコートに身を包み、ハイヒールの音を響かせて通り過ぎる金髪女に間違いない。
そしてその女が今、私にコンタクトを取ろうと自宅に電話をかけてきたのだ。
真奈美は、彼女が何を企んでいるのか分からず、思考が同じ所をどうどう巡りしていた。
これ以上、話し込んではいけない、そう思いながらも手は受話器を握ったまま、彼女の声に吸い込まれるような錯覚に陥っていた。