授受―じゅじゅ―-1
「いつもお世話になっている人だし、顔くらい出しておかないとマズいだろうと思ってね」
病院へ行く用事ができた健吾は、紗耶香と二人して出掛ける準備をしていた。
人付き合いを大事にする健吾だったので、夫婦でお見舞いに行ったほうが先方に失礼にならなくて良いんだと言う。
「いつ入院されたの?」
「三日ぐらい前だったと思う」
「それじゃあ、長引くような病気なんだね」
「紗耶香が心配することないよ」
「そうだけど……」
口を動かすより手を動かすのが先だと言って、健吾はさっさと身支度を済ませてしまう。
遅れて紗耶香もメークと髪のセットを済ませ、健吾の車で病院へ向かった。
渋滞を避けたルートを通ったので、病院に着いたのは家を出てから30分後のことだった。
総合案内の窓口で手続きをすると、ナースステーションで病室の場所を教わり、4桁の数字が並んだドアの前に二人で立った。
健吾がドアをノックする。
独特な静寂があってから間もなく、患者のものらしき声が部屋の中から聞こえてきた。
健吾を先に行かせておいて、あとから紗耶香が遠慮がちに足をはこんでいく。
「体の具合はどうですか?」
病状をうかがう健吾の後ろ姿の向こうに、ベッドから上体を起こした人影が見える。
輪郭がぼやけているので、その人物がどのような表情をしているのかわからない。
急なことでコンタクトレンズを忘れてきてしまった紗耶香は、仕方なくバッグから取り出したメガネをかけた。
「こんにちは……」
添え物のように動かないままで紗耶香は挨拶した。
「わざわざすみませんでしたね」
患者らしからぬ肉厚な声を寄越してきたその人物は、ほかでもない島袋慶次だった。
点滴の管が腕に刺さっているのを除けば、疾患を抱えているような雰囲気は少しも感じられない。その目は早くも紗耶香の全身をめぐっている。
「おとといと昨日と、息子夫婦が見に来てくれたんでね、今日は誰も来ないだろうと思っていたんです」
「勝手にお見舞いに来てしまって、すみません」
と健吾。
「いや、来てくれて嬉しかったよ」
島袋がそう言ったのは、ベッドに伏せながらにして野村夫人の美貌を拝むことができたからである。
紗耶香と何度も目が合うので、元気のなかった下半身がそわそわしだして起き上がってくる。目と目で会話をしている心地だった。
「すみませんが、花の水を取り替えてきてもらえませんか?」
紗耶香と二人きりになりたい島袋は、わざと咳き込みながら健吾に用事をつくった。
健ちゃん、おねがい、行かないで──。
しかし妻の思いは夫には通じない。病室を出ていく健吾の背中を見送りつつ、紗耶香は落胆の吐息をついた。