姦通―かんつう―-1
「ただいま」
帰宅した健吾の声を聞きつけて、紗耶香もすぐに玄関へ顔を出す。
「お帰りなさい、お疲れさま」
「今日の夕飯のメニュー、当ててみせようか?」
背広とブリーフケースを紗耶香に手渡すと、健吾はさっそく食い気を露わにする。
「健ちゃんの大好物にしたから、すぐにわかっちゃうかも」
「それじゃあやっぱり、唐揚げかな?」
「ピンポーン!」
クイズ番組の司会者のつもりで、紗耶香は陽気に言った。
毎日こうやって笑顔を交わすということが、円満な家庭を築くためには欠かせないのだろう。
だから笑顔は絶やしちゃいけないんだと、紗耶香は心の傷をそっと仕舞った。
先にお風呂に入ると言って、健吾は普段と変わらぬ様子でバスルームに向かう。
その背中を目で追うのをやめた紗耶香は、ぎこちないため息をついて、しぼんだ風船みたいにしゅんとした。
どんなことがあっても、この秘密だけは守り通さなければならない──紗耶香はぎゅっと手を結んだ。
今日も、明日も、明後日も、ぜんぶが野村家のタイムテーブル通りに何事もなく過ぎていくに違いないのだ。
悪い夢でも見ていたのだろうと無理に思い込んで、紗耶香はふたたびキッチンに立った。
作りかけのマカロニサラダのボウルに手を添えて、味付けのことを考えていたつもりが、気がつけば昼間の苦い体験が胸ぐらを揺さぶっていた。
たった一日のあいだに老け込んでしまったのかと錯覚するほど、手肌の感触にも潤いを感じられなくなっている。
ぜんぶ私がいけないんだ──。
ぼやっとしたまま動きを止めて、紗耶香はある人物との最悪のシーンを思い起こしていた。
それは数時間前──。
「私の右腕の代わりを、奥さんがやればいいだけのことだよ」
包帯でぐるぐる巻きにした右腕を差し出しながら、島袋はトイレの後始末を紗耶香に命じた。
丸裸の下半身をよその人妻に見せびらかして、相手の顔色をまじまじと観察していたのである。
紗耶香はときとして無表情になり、あるいは思いつめた雰囲気を瞳の奥に浮かべていた。
目の前にある男根が卑しい臭いを出すたびに、軽蔑の眼差しをそこへあてる紗耶香。
「これが済んだら、帰してください……」
「いいだろう」
互いの気持ちを酌み交わしたあと、目眩(めまい)をおぼえるほどのしとやかな心地が島袋の芯棒にそっと触れた。
膿み腫らした患部を手当てするような紗耶香の手つきが、島袋のシンボルを撫でていたのだ。
これに悦ばない男がいるだろうか。亀頭のちょうど下あたり、薄い皮に包まれてぱんぱんに張ったペニスの横っ面に、美人妻の手を実感する。
紗耶香はトイレットペーパーをちぎって、それで島袋のものをかるく拭いた。
興奮状態にある男性のそれを見ているだけで、胃が痙攣するような悪寒を感じる。
太くて長くて硬い、黒光りのする工具にも見えるそのかたちは、紗耶香の手の動きを躊躇わせるほどグロテスクだった。