精通タイム 後編-1
5月。鈴掛南中学校恒例の校内クラス対抗リレー大会が行われることになっていた。
その日は、そのリレー順を決める話し合いが行われていた。
健太郎ともう一人の女子生徒が教室の前に立ち、司会をしていた。
その話し合いは紛糾していた。誰が第一走者になるか、誰からバトンを受け取り、誰にバトンを渡すのか、誰がアンカーを務めるのか……。
「えー、いやだよ、俺、加奈子の後なんて、あいつ遅いからきっと最下位で来るよ。目立っちゃうだろ」
「なんであたしがスタート? 他のクラスはみんな男子なんでしょ?」
「冗談じゃないよ。アンカーなんて他にやるやついるだろ!」
健太郎は困り果てていた。「みんな協力的になってください!」
がやがやとクラス内に耳障りな声が充満し、それが三分程続いた時、ばん! と机を叩く大きな音がした。教室は水を打ったように静まりかえった。
「いいかげんにしろ!」修平は立ち上がり、いつもの大声を張り上げた。「クラス対抗なんだろ? 目的はクラスの団結力を強めるってことだろ? 何だよ、おまえら勝手なことばっか言いやがって!」
健太郎はぽかんと口を開けて、修平の興奮して赤くなった顔を見た。
「みんなやりたかねえって言った時点で俺たち一組は負けてら。それより、」修平は席を離れ、つかつかと前に進み出て健太郎の横に立った。「おまえら司会してるこの二人の気持ちも少しは考えたらどうなんだ? 思いっきり困ってんだろ!」
担任が窓際に立って腕組みをしたまま、小さくうなずいた。
「この二人は、俺たちのリーダーだ。一組をまとめようとしてんのに、おまえらが協力しねえでどうすんだ。リーダーを頑張らせるんじゃなくて、周りの俺たちが頑張んなきゃいけないんじゃねえのか?」
修平は健太郎に向き直った。「俺がアンカー走ってやるよ。あんまり速くねえけどな」
「え?」
「こんだけ偉そうなこと言った責任をとらなきゃな」そう言って修平は健太郎にウィンクした。
◆
その日の夕方、プールの脇にある水泳部の部室から着替えを済ませて出てきた健太郎は、修平に呼び止められた。「シンプソン」
健太郎は緊張したように少し顔をこわばらせて足を止めた。
「何か、おまえのこと『シンプソン』って呼ぶの、変な感じがすっから、今からケンタって呼んでいいか?」
修平は少し赤くなって頭を掻いた。
「え? ケンタ?」
「健太郎のケンタ。イヤか?」
健太郎の頬の筋肉が弛んだ。
「いいよ。じゃあ、俺も君のこと、修平って呼ぶ」
「わかった」修平はにっこり笑った。
「一緒に帰ろうぜ」修平が言った。
「いいよ」健太郎も笑った。
二人は自転車を押しながら正門を出た。
「俺んち、河岸団地なんだ。」
「河岸小の近く?」
「ああ」
「あの、修平、ごめんな。」
「何が?」
「入学式の日、いきなり殴りかかっちゃって……」
「あれは俺が悪いんだ。謝らなくていいよ。おまえは」
修平は爽やかな顔を前に向けた。「でも、いいな、おまえ守りたくなる妹がいて。俺、兄貴しかいねえから、その気持ち、よくわかんねえけど」
「シスコンって思われたかな……」
「シスコンなのか?」修平は健太郎の顔を見た。
「そうかもしれない」
「へえ。じゃあ、おまえあの胸、いつもじろじろ見てんの? おっと! また殴られっかな?」修平は自転車を止めて身構えた。
健太郎はふっと笑った。「心配するなよ。もう君には手は出さないよ」
「おまえも、そういう事には興味あんだろ?」
「そういう事?」
「女子のカラダだよ」
健太郎は赤くなって目をそらした。
「あんな妹と一緒に暮らしてっと、変な気になるんじゃねえの?」
「どうかな……」
二人はT字路にたどり着いて自転車を止めた。
「今度、おまえんちに遊びに行っていいか?」修平が唐突に言った。
「え? あ、ああ。いいよ。いつでも」
修平は嬉しそうに声のトーンを上げた。「そうか。じゃあ、今度の土曜に行くから。部活終わったら」
「剣道部は午前中?」
「そうだ。水泳部も土曜は午前中で終わりだろ?」
「うん」
「じゃあな。約束したから」
修平は交差点を左に折れて、手を振りながら健太郎から離れていった。